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40代になっても肩書きも実績もない——自分を責めてしまうあなたへ、仏教の「小欲知足」

「40代になっても、肩書きも実績もない」

そんなふうにご自身を責めてしまう、というご相談をいただきました。

責める必要は、本当にないと思うのです。

「なくちゃいけない」という思い込みのほうに問題がある

肩書きがなくちゃいけない。実績がなくちゃいけない。

そう思い込んでいるところに、問題があるのではないでしょうか。

私たちは、何かを得ていないと、自分には価値がないんじゃないか、生きている意味がないんじゃないか——そんなふうに考えてしまいます。他の人はもっとこうなのに、自分はなんてダメなんだろう、と。

苦しさの正体は、他者との比較

でも、そこで何が起こっているのか。

やっぱり、他者との比較なんです。

「あの人は40歳でもうこんなことができているのに、自分はできていない」。その比較によって、自分が下だ、上だ、同じだと値踏みをして、「自分はなんて劣っているんだ」と思う。そこから出てくる不安なのです。

比較をしているかぎり、上には上がいます。ですから、この不安に終わりはありません。

仕事が「ある」というだけで、実はありがたい

できるお仕事がある。それ自体が、とてもありがたいことだと思うのです。私自身、死ぬまで仕事はしていたいと思っています。

以前、コロナで寝込んだことがありました。高い熱が出て、一週間、十日と動けない。そのとき、ふっと社会から隔絶されたような感覚になったんです。

やることがない。できないのだけれど、やることがない。そのときに訪れる不安。「私がいなくても社会は回っているんだ」「私なんていなくても大丈夫なんだ」と、ぐっと落ち込んでいったことがありました。

けれど熱が冷めて、また職場に戻ると、そこで役割をいただける。やることがある。させていただけることがある。

そのとき、仕事ってあるだけで幸せなんだなと、しみじみ思ったのです。

肩書きを「生きる自信」にしてしまうと

もちろん、肩書きがあると、自分が立派になったような気持ちになります。実績があれば、周りの人に「すごいね」と注目してもらえます。

でも、そういうものを自分の生きる自信にしてしまうと、どうなるでしょう。

「じゃあ、それがなかったら生きていちゃいけないのか」「意味がないのか」——そういうことになってしまいます。

肩書きも実績も、生きる資格ではありません。責める対象では、まったくないのです。

仏教の「小欲知足」——小さな欲で、足るを知る

いま一番大事なのは、今あることに満足することだと思います。

仏教には「小欲知足(しょうよくちそく)」という言葉があります。読んで字のごとく、小さな欲で、足るを知るということです。

できるお仕事があって、ありがたいな。
今させていただいていることで、お給料をいただける。ありがたいな。

そうやって思えるようになってくると、自分を責めることは自然になくなっていきます。

(「足るを知る」については、コラム「足るを知るとは?本当の意味と日常で実践するコツを解説」でも詳しくお話ししています。あわせてどうぞ。)

向上心まで捨てなさい、という話ではありません

とはいえ、「自分を向上させよう」という意欲まで捨てなさい、と言っているのではありません。

自分を高めたい、もっと輝かせたい。その気持ちは、持っていていいのです。

では、どうすればいいのか。

他人ではなく、「昨日の自分」と比べる

答えはひとつです。

比べる相手を、他者から「昨日の自分」に変えること。

昨日の自分と比べて、少しでも前進しているか。たとえ1ミリでも、自分が目指す方向に向かっているか。そこを見るのです。

  • 他者と比べる → 上下が生まれ、不安になる
  • 昨日の自分と比べる → 前に進んだぶんだけ、自分が高まっていく

同じ「比べる」でも、向きを変えるだけで、こんなにも変わります。他者と比べずに自分を見ていく。そうしていくことで、人はどんどん高まっていけるのです。

そして「足りないな、もっとこうなりたいな」と感じる部分は、小欲知足の考えで、今あることに満足していく。この二つは、両立します。

おわりに

自分を責めてしまう気持ちの正体は、能力の不足ではなく、比較の癖でした。

比べる相手を昨日の自分に変えて、今あることに「ありがたいな」と思えるようになってきたら、責める声はきっと小さくなっていきます。

どうか腐らず、焦らず。応援しています。


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仏教は、我慢や修行をすすめる教えではありません。ものの見方が少し変わると、同じ出来事でも、ずいぶん楽になります。がんばりすぎなくて、いいんです。

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この記事をお話しした人

竹下暁蓮(たけした ぎょうれん)
ヨガを続けながら仏門へ。病と、大切な人の喪失を経て、あなたの今に寄り添う僧侶。

約550年つづく浄土真宗のお寺・慈徳山 得藏寺が運営する、誰にでもひらかれた、やさしい仏教の入口「仏陀倶楽部」でお話ししています。

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監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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