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「何のために生きているのかわからない」——生きる意味は探すものではなく、後からついてくる

「何のために生きているのかわからなくなりました」

そんなご相談をいただきました。

私たちは生きていると、その時その時に集中しているものがあるうちは、そういうことを考えないものです。けれども、ふっと時間が空いたときに「私って何のために生きているんだろう」と思うことは、結構あるのではないでしょうか。

お釈迦様は「生きている意味はない」と説いた

実はこの問いについて、お釈迦様もおっしゃっています。

「私たちが生きている意味はない」——仏教ではそう言うのです。びっくりですよね。

これは一神教の世界との大きな違いです。たとえばキリスト教やイスラム教では、人間は神がお作りになった存在です。神が意志を持って我々を作ったのだから、生きていることには(神が与えた)意味がある、と考えます。

しかし仏教はそうではありません。「生きる意味なんかない」「命に尊厳はない」とまで言う。驚くような話です。

意味は「探すもの」ではなく「見つけていくもの」

びっくりするような教えですが、ここに大切なポイントがあります。

生きている意味というものは、探すものではないのです。

探すのではなく、その意味を自分自身が見つけていく。意味は、後からついてくるのです。

本当に一生懸命、真面目に生きてきた人ほど、「あれ? それってどういう意味なんだろう」「どうして生きているんだろう」という疑問がどんどん湧いてきてしまうものです。

でも実際は、意味を探すのではなく、意味を見つける。意味は後からついてくる。だからこそ、「どんなふうに生きていくか」ということのほうが大切なのです。

道元禅師の「而今(にこん)」——今ここを生きる

禅僧に道元禅師という方がいらっしゃいます。

道元禅師の言葉に「而今(じこん)」というものがあります。お酒の銘柄にもありますね。「にこん」とも読みます。

意味は、「今ここを生きる」ということです。

私たちが不安になるとき——「どうしようかな」「なんで生きてるのかな」と思うとき——たいてい意識は過去か未来に行っています。

  • 過去を考えると、今までやってきたことへの後悔や、「何をしてきたんだろう」という思いが出てくる
  • 未来を見ると、「どうなるか不安だな」という気持ちになる

そちらを見るのではなく、今この瞬間にちゃんと意識を置いて、今できることをちゃんとやっていく。そこに必ず、意味がついてくる——ということなのです。

おわりに

あなたの今日は、どんな一瞬一瞬でしたか。

どんな「今」に意識を向けることができましたか。


ひとりで抱えこまないで

仏教は、我慢や修行をすすめる教えではありません。ものの見方が少し変わると、同じ出来事でも、ずいぶん楽になります。がんばりすぎなくて、いいんです。

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この記事をお話しした人

竹下暁蓮(たけした ぎょうれん)
ヨガを続けながら仏門へ。病と、大切な人の喪失を経て、あなたの今に寄り添う僧侶。

約550年つづく浄土真宗のお寺・慈徳山 得藏寺が運営する、誰にでもひらかれた、やさしい仏教の入口「仏陀倶楽部」でお話ししています。

生きている人に関わる僧侶へ——竹下暁蓮さんが、僧侶という生き方を選ぶまで

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監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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