55歳で役職定年を迎え、かつての部下だった人の下で働くことになった。頭を下げなければならない場面が増え、偉そうにものを言われることもある。それが、ちょっと惨めで、心がすり減ってしまう——。
そんなご相談をいただきました。
「しょうがない」で終わらせる前に
「これはもう、しょうがないことだよね」と言ってしまえば、それに尽きてしまう話ではあります。一切皆無常——ずっと同じ状態であり続けるということは、この世の中では決してありません。常にいろんなことが移り変わっていく。頭ではわかっているつもりでも、いざ自分の立場が変わると、心がついていかない。それは、とても自然なことです。
かつての部下やその同僚に頭を下げなければならない。偉そうに言われることもある。「やっぱりそれは嫌だ」と思ってしまう——その気持ちは、よくわかります。
その惨めさの正体は「慢心」
けれど、その苦しさの正体を、少しだけ見つめ直してみてほしいのです。
仏教では、慢というものが、忌み嫌うべきものとして扱われています。慢とは、「自分は誰かより優れている」「自分は誰かより偉かった」と、自分の中で作り上げてしまう思い込みのことです。
「自分はこいつよりも偉かった」——そう思うとき、私たちはそれを実体のあることとして見てしまっています。偉かった人間なんだと、実体として扱ってしまう。その慢心が、立場が変わったことで沽券を傷つけられたように感じさせ、「そうではなくなった現実」を受け入れがたくさせているのです。
「偉かった自分」に、実体はない
でも、本当にそうなのでしょうか。
仏教では、「実体なんて、本当はないのではないか」と、常に問いかけています。上司であった自分、部下であった彼——それはただ、その時々の関係性があっただけのことです。関係性が変わっただけで、「偉かった自分」という実体が、どこかに消えてしまったわけではありません。そもそも、そんな実体は、最初からどこにもなかったのです。
これは縁起という仏教の考え方にも通じます。ものごとは単独で存在しているのではなく、関係性の中でそのつど成り立っている。「上司だった自分」も、「偉かった自分」も、その関係性の中でだけ現れていた姿にすぎません。
自分の本質は、肩書きとイコールではありません。自分の本質は、自分の行いによって、自分の思考によって、日々のふるまい(カルマ)によって作られているものです。肩書きや財産や、持っているものによって、変わってしまうものではないのです。
部下役を、丁寧に演じればいい
では、どうすればいいのか。
大切なのは、そこに惨めさを感じる必要も、心をすり減らす必要もない、ということです。会社というコミュニティの中で、自分がやるべき役割を、ただ丁寧にまっとうすればいい。そこに「慢心」や「実体がある」という思い込みを、わざわざ持ち込む必要はまったくありません。仕事が順調に回れば、それでいい。そうすれば、お給料もいただけて、自分の生活はちゃんと成り立っていきます。
だからといって、心を殺せと言っているわけではありません。むしろ逆です。「惨めだ」と思い続けることのほうが、あなたの心を死なせてしまいます。
今は、部下役に徹しよう——役割、演技だと思って演じてみる。ドラマの中のワンシーンで、今の自分は部下役を務めているのだと。「その役をどうすればうまくこなせるか」という考え方に変えるだけで、みじめさも、心のすり減りも、だいぶ軽くなっていくはずです。
心の中の、小さな転換を
「俺は偉かったのに」「俺はこいつの上だったのに」——そう思うから、惨めになるのです。でも、本当は、そう思う必要はまったくありません。
そのことにちゃんと気づけたとき、「あ、そうか。自分は今、この部下役を演じているんだな」と思えるようになります。その役割に徹しようと思うだけで、物事は十分に円滑に回っていきますし、あなたのみじめさは、だいぶ解消されていくはずです。
ぜひ、心の中で小さな転換をしてみてください。
ひとりで抱えこまないで
今の立場のつらさを、誰にも言えずに抱えていませんか。
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この記事をお話しした人
竹下暁蓮(たけした ぎょうれん)
ヨガを続けながら仏門へ。病と、大切な人の喪失を経て、あなたの今に寄り添う僧侶。
約550年つづく浄土真宗のお寺・慈徳山 得藏寺が運営する、誰にでもひらかれた、やさしい仏教の入口「仏陀倶楽部」でお話ししています。




















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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