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第十回「人の価値観ではなく自分の望む人生を送ろう」

第十回「人の価値観ではなく自分の望む人生を送ろう」

SNSが盛んな今、私たちはつねに他人の評価にさらされています。そのため、自分の行動を決める基準が「他人の評価」になりやすくなっています。

「オシャレな写真を撮るためだけにカフェに行く」といった休日を過ごすならまだしも、「親が安定した職に就けというから公務員になる」「世間で成功していると思われたいから、大企業に入る」など、人生を決める重大な決断でさえ、他人の価値観をそのまま受け入れてしまっている人が少なくありません。

「他人の評価」を気にしすぎると、自分の心の声に気づけなくなり、他人や世間の価値観の中で生きることになってしまいます。これでは、自分の人生を、そして今をよりよく生きるのとは正反対の道を歩んでしまいます。

そのような傾向が強いせいか、最近は「自分はここにいる価値があるのだろうか」と不安を感じる人が増えています。おそらく「他人の評価」を気にするあまり、誰かに認められないと自分の価値がないと考えてしまうのでしょう。

しかし、他人に認められて、初めてあなたの価値が生まれるのではありません。そもそも他人は、あなたの価値をしっかり見極めて評価しているわけではありません。他人の評価は、評価する人の都合次第でころころ変わるものです。したがって、人の意見は「無責任」だと考えるくらいでちょうどいいのです。

たとえば、私がビジネスで成功していたとき、仲間はみんな「よくやっている」と評価してくれました。ところが、私が相手にとって好ましくない仲間とつるんでいたり、ライバルだったりすると、とたんに悪口を言われます。しょせんは、自分にとって都合がいい人が「いい人」であり、都合が悪い人は「イヤなやつ」なのです。

他人の評価は「自信」と同じで相対的なことが多いもの。比べる対象によっては、正反対の評価になるのもよくあることです。異なる評価に一喜一憂することなく、人の評価があなたそのものの価値を変えるわけではないと思っていればいいのです。

人の評価は、いくら努力しても自分でコントロールすることはできません。評価を上げることに力を注ぐのではなく、自分のやりたいこと、できることに集中したほうがいいのです。

浄土真宗の開祖である親鸞は、「僧侶はこうあるべき」という他人の価値観に左右されることもありませんでした。僧侶は厳しい戒律を守り世俗から隔絶されて修行を積むのがあたりまえだった時代に、公式に結婚して4男3女をもうけ、肉食していることも隠しませんでした。そして、平均寿命が30年という時代に、なんと90歳にも及ぶ、充実した生涯を過ごされたのです。

他人の評価を気にするくらいなら、自分で自分を評価してみましょう。自分を評価するときの基準はたった一つ。昨日よりどれくらい進化したか、です。会社の1駅手前で降りて、会社まで歩いてみた。新しいレシピにチャレンジした。どんなに小さなことでも構いません。大げさなくらい、自分で自分をほめてあげればいいのです。

ただし、「人からよく思われたい」という気持ちをすべて手放しなさい、と言いたいわけではありません。このような気持ちは、よい行いをする原動力になるからです。電車の中でお年寄りに席を譲るとき、また、お店で店員さんに「ありがとう」と言うときに、人目をまったく気にしていない人はいないはずです。

「ほめられたい」「認められたい」といった気持ちは、今の生活をよりよくするためのモチベーションとして使えばいいと思っています。「あの人よりも成果をあげたい」「あの人よりも上手くなりたい」という気持ちが、エネルギーとなって背中を押してくれるなら、大いに活用すればいいのです。

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