「杖をついてゆっくりと歩く母の後ろ姿を見ていると、自分もこうなっていくのかなと思うと怖い」
そんなお便りをいただきました。
そうですよね、怖いですよね。未知だし、わからないから。
お釈迦様も、同じ恐れを抱いていた
実はお釈迦様も、まだお若い時に、老いた方や病人、そしてお亡くなりになった方のご遺体をご覧になって、「自分もこうなるのか」という思いに、ものすごく恐れを抱かれたのだそうです。
悩みに悩んで出家なさったのが、29歳の時でした。老いていくことも、病になることも、死ぬことも、もう絶対に嫌だと思って、お城に戻ってからも、なおお悩みになられたといいます。
そんな時、出家なさった立派な沙門(修行者)の姿をご覧になって、「なぜあの人は怖がっていないのだろう」と思われた。すると、お付きの人がこう教えてくれたそうです。
「生老病死(しょうろうびょうし)——生まれること、老いること、病になること、死ぬこと。それを超えられた方だからですよ」
それを聞いて、お釈迦様も「自分もその生老病死を超えたい」と思って、出家なさったのです。
老いも病も死も、必ず来る。それを明らかに見た時
そうなんです、みんな怖いんです。老いていくのも、病になるのも、死んでいくのも。
でも、これは現実として、みんな確実に死にます。命あるもの、生きとし生けるものすべてが、必ず老いていって、死んでいくのです。
私自身、もう50を超えて、もうすぐ60歳になろうとしています。足が上がらない時があって、つまずいてしまうことも増えてきました。若い頃には、なかったことです。
その怖さを、ちゃんと見た時に。「嫌だな、怖いな」ではなく、「自分も結局そうなっていくんだ」というところを明らかに見た時、その怖さという恐怖は、なくなっていくのだと思います。
西洋にも「メメント・モリ(死を想え)」という言葉がありますが、考え方は同じです。限りある命だからこそ、死を遠ざけずに見つめることが、今をどう生きるかにつながっていきます。
母は、老いの先輩
私の母も、本当に杖をつかなくちゃ歩けなくなってしまいましたし、すべての動きが緩慢になりました。あちこち痛いとも言っています。
今は母と叔母が施設に入って、二人で頑張ってくれているのですが、時々会って一緒にお出かけすると、本当にゆっくりゆっくり歩くのです。
私はその時、「自分もこうなるから怖いな」と思ったことはありません。むしろ、「私もそうなっていく姿を、先に先輩として見せてくださっているんだな」と思うのです。
母や叔母がその姿を見せてくださることで、「あ、私もこうなっていくんだ」という心の準備が、ちゃんとできるようになってきたなと思っています。
ゆっくり歩くからこそ、見えるもの
私たちは、いつもせかせか動いて、忙しくしています。でも、ゆっくり歩くお母様と歩いている時は、いつもだったら通り過ぎてしまうような景色を、ゆっくり見ることができます。
道端の花だったり、鳥のさえずりだったり。普段見落としてしまうような素敵なことを、ゆっくり歩くお母様と一緒に歩くことで、発見することができるのです。
世の中には、ネガティブな面もポジティブな面も、いろいろな側面があります。できれば、怖いとか嫌だなというネガティブな面だけを見るのではなく、ちょっといい面も探してみて、ポジティブな面でこの世界を見ることができるといいですね。
おわりに
私たちは、生まれた限りは必ず老いて、病にもかかって、そして平等に死んでいきます。そのことを、どうか明らかに見てみてください。
ちゃんと見れた時、怖いなと思う気持ちはどこかに吹っ飛んでいって、「そうなるまでにできることを、一生懸命やろう」という前向きな気持ちになることができると思います。
ぜひぜひ丁寧に、その真理を見つめてみてください。
ひとりで抱えこまないで
仏教は、我慢や修行をすすめる教えではありません。ものの見方が少し変わると、同じ出来事でも、ずいぶん楽になります。がんばりすぎなくて、いいんです。
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この記事をお話しした人
竹下暁蓮(たけした ぎょうれん)
ヨガを続けながら仏門へ。病と、大切な人の喪失を経て、あなたの今に寄り添う僧侶。
約550年つづく浄土真宗のお寺・慈徳山 得藏寺が運営する、誰にでもひらかれた、やさしい仏教の入口「仏陀倶楽部」でお話ししています。




















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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