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「教えてください」と言えない——お釈迦様が説いた「長老は歳では決まらない」という教え

「自分より一回り以上若い人についていて、『教えてください』と素直に頭を下げられないことで悩んでいる」

そんなお悩みをいただきました。

年齢が上か下かは、本当は関係ない

年齢が上だから偉い。年齢が下だから、若いからダメだ。

そういう、そもそもの考え方自体が間違っているのだと思います。

自分が分からないことを、年下の相手がちゃんと分かっているのなら、教えてもらわなくてはなりません。そこに年齢をはさむ必要は、まったくないのです。

「もっと昔から、私はもう何年生きてるんだ」というような、頑固な年長者もいらっしゃいます。けれど、だからどうだという話ではありません。

お釈迦様の教え——長老は、歳では決まらない

お釈迦様の教えの中にも、こういう言葉があります。

年齢を重ねるから、長老になるのではない。良い行い、良い学びをしていくから、長老になるのだ。

まさにその通りで、年齢を重ねるから偉くなっていくというのは、私たちの妄想にすぎません。そこからは、ちょっと離れた方がいいのです。

知らないことは知らないと認めて、ちゃんと教わらなければいけません。それは、たとえ相手が子どもであっても同じです。「子どもに馬鹿にされた」とおっしゃる方もいますが、子どものほうがよく見ていて、よく分かっていることもあります。

自分が年上だから、相手が年下だから——そういうことではなく、知っている人にちゃんと教えを乞う。それは、生きていくうえで基本の、大切なことなのだと思います。

学ばなければ、むなしい老人になる

年を重ねるだけでは、本当にむなしい老人になっていきます。

では、むなしい老人になりたくなければ、何をしなければいけないか。

学ぶんです。 仏教の基本は、ここにあります。学んでいかないと、私たちは全然賢くなれません。「歳をとったから」「若いから」という考えからは、一旦離れてみてください。教わらなければいけないことは教わり、学ばなければいけないことは学ぶ。それだけのことです。

「自分はこれだけ生きてきたんだから」——それは「我執」

自分に対して執着を持つと、「自分はこれだけ生きてきたんだから」という、わけの分からない慢心が出てきます。

自分に対してのこの執着のことを、仏教では「我執(がしゅう)」といいます。

そこから、ちょっと離れてみてください。絶対にその方が、楽に生きられます。この世界が、絶対にもっと美しく見えます。「歳がいっているから、どうやこうや」という自分の思い込みを、ぜひ外してみてください。

一度それができてしまえば、あとは楽になります。ぜひ、その第一歩を踏み出してみてください。

応援しています。


ひとりで抱えこまないで

仏教は、我慢や修行をすすめる教えではありません。ものの見方が少し変わると、同じ出来事でも、ずいぶん楽になります。がんばりすぎなくて、いいんです。

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「執着を手放す」「学び続ける」ことについて、コラムでも詳しく解説しています。

この記事をお話しした人

竹下暁蓮(たけした ぎょうれん)
ヨガを続けながら仏門へ。病と、大切な人の喪失を経て、あなたの今に寄り添う僧侶。

約550年つづく浄土真宗のお寺・慈徳山 得藏寺が運営する、誰にでもひらかれた、やさしい仏教の入口「仏陀倶楽部」でお話ししています。

生きている人に関わる僧侶へ——竹下暁蓮さんが、僧侶という生き方を選ぶまで

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監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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