私が何故、得度しようと思ったのか。それは娘が亡くなったことがきっかけです。著者も、大好きな叔父さんの死を目の当たりにし、人生が変わったといわれていますが、まさに私もそうです。
娘は昨年の2月にがんで27歳の生涯を閉じました。夢であった看護師になって、まだ3カ月目、がんに侵されてしまいました。
何故、娘なのか? わたしじゃなかったのか、何度考えたかわかりません。亡くなった今でも、「何故私じゃなくて、娘だったのかなぁ」と考えてしまいます。起こってしまったことを今更どれだけ考えても、どうしようもないとわかっていますが、つい考えてしまいます。
亡くなってしばらくは、何をやるにもしんどくて、「この先、わたしは楽しいと思えることがあるのか?」「早く死んだら娘に会えるかな」とか、毎日そんなことを思って涙していました。仕事していても、不意に涙が止まらなくなったり……。
でも、今を大切に娘の分まで生きていくことが、娘の供養にも繋がり、私自身の慰めにもなると、この本を読んで改めて思うことができました。
娘は最後まで希望を捨てずに生きていましたが、それと同じくらい、余命を確実に実感しながら、毎日を大事に生きていたことが、残された日記を読んでわかりました。日記の中に「諸行無常」などの言葉が出てきていて、そんな言葉を娘が日記に記していたことが不思議に思っていた矢先、遺品整理の時に仏教の本が出てきました。
娘は仏様の教えを知ることで、心の平穏を見出していたのでした。そして、日記にも「今を精一杯生きよう」「寝たきりになった自分を看病してくれる家族に自分が出来ることは感謝の言葉、『ありがとう』を伝えることだ」と書いてありました。
「生きているものはいつか必ず死ぬ。その日まで感謝して生きよう」と書いてありました。たしかに、娘は約2年8ヶ月の闘病で、わたしにも誰にも八つ当たりしたり、わがままを言ったことがありませんでした。必ず「ありがとう」を口にしていました。
娘の心を穏やかにしていただいた仏教を、私もこれからの生きる糧にしていきたい。そして、少しでも同じような経験をした人の力になりたい。そう思い、お坊さんになりたいと思った次第です。