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多田幸寺への径 ② 童謡 『夕焼け小焼け』

小さい頃に唄った童謡には、 すばらしい歌がたくさんあります。 その中の好きな歌の一つが 『夕焼け小焼け』です。

夕焼け小焼けで日が暮れて
山のお寺の鐘が鳴る
お手々つないで皆帰ろ
カラスと一緒に帰りましょう

この歌は、 今から百年前の大正八年(1919年) に、 小学校の先生をしておられた中村雨紅さんが作詞され、 作曲家の草川信さんが曲を付け、関東大震災のあった大正十二年 (1923年)に発表されまた。 小さいときにこの歌が好きになったいちばんのわけは、 「山のお寺の鐘が鳴る」 の歌詞にあります。
村では多田幸寺のことを 『多田幸寺』 とよぶことはめったになかったのです。誰も 『山寺』 でした。 田村山の山裾にあるからです。 今でも村では、 『多田幸寺』 はよそ行きの名です。
この歌が好きになったのは、私の村の 『山寺の歌』だと思ったからです。 素朴な子ども心にすぎないのですが、 それが私にとって、とても幸せなことであったことを、私は大人になってから知るのです。

日本の神道や仏教を知るようになって私が強く感じていることがあります。それは、神も仏も人間を鳥や獣、 山や川、 自然物と同等の存在とみていることです。 神は 『八百万』 といわれます。 仏は 『山川草木悉皆仏性』 と説かれます。
そのうえ、 神も仏も人間を優れた存在と見ていないことです。 叩けば埃の出る貪欲なものとみています。 神社に詣でるとき、 手水舎で手を洗い口を漱ぎ本殿に足を運びます。 『穢れある人間』 は、 そのままでは神に近づけないのです。

人間の本質を、 釈迦は 『愛欲』、 親鸞は 『煩悩具足』 と」 認識します。 かかる厳しい自己認識に立ち、 神も仏も自暴自棄になるのではなく、 尊い命を生きることを求め、その標を私たちに指し示してくださっているのだと私は思います。

神が求める 「祓い清め・禊ぎ」 の儀式は、 『清く、明けく、 尚く』 生きようの標です。 『清く、明けく、 尚く』 生きることが不可能な自分であることを知りつつも、『清く、明けく、 尚く』 生きようとする人間への励ましであり導きです。
釈迦は 『慈悲心』 だけが人間が救われる道と説きます。 作家の津本陽さんは、「慈」 は無数の草が一緒になって生えているさま、 そのこころ、 「みんな一緒のこころ」、「悲」 は右と左に背きあって離ればなれになっているさま、そのこころ、 「苦しみのこころ」 『慈悲心』 とは、 「一緒に苦しむこころ」 だとおっしやっています ( 『無量の光』)。

「あなたはひとりではないのです、 あなたが私の力なのです。 私には何の力もないのですが、 同じ思いなのです」 と 『慈悲心』は、我欲の呪縛から私たちを解き放つ標なのではないでしょうか。

『夕焼け小焼け』 の童謡について、 哲学者の山折哲雄さんは、『日本人の宗教感覚』 という書物の中で 「日本仏教の背後に宿っている自然観と生命観、 無常観といってもいい、 自然との共生といってもいいものが、みごとにうたいこまれている」と述べておられます。
村の 「山寺の歌」 だと思って好きになったこの歌が、 それほどに深い意味と生き方にかかわっていることを知るとき、 多田幸寺のあるこの村に生まれ、 喜寿を超えて尚、この村に生あることに静かなよろこびを感じるのです。

ふんわりと綿雲のように境内をつつんだ桜も緑の滝となり、 参道の石畳を踏む傍らに蝶が飛び交い、 蝉時雨の本堂の畳に座し、 薬師如来に頭を垂れるとき、ここだけのつかの間の静寂が訪れます。 その静寂の中で、 この歳まで求めてきた 『涼やかな魂』 とは真逆、 すべてに己をど真ん中にした 『たぎる魂』 の自分を知ったのです。 薬師如来も阿弥陀如来も、釈迦も親鸞も、 このような私にこそ手をさしのべてくださっているのではないかと思う自分を、 私はいま感じつつあるのです。

多田幸寺の山門から望む西の空を茜に染めて、 夏の陽が沈んでゆきます。

子どもが帰ったあとからは  丸い大きなお月さま
小鳥が夢を見るころは   空にはきらきら金の星

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