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多田幸寺への径 ①

仏法僧鳴くや夜ふけの多田幸寺

この句は、村の私の同級生、北川新一君が中学一年の時に詠まれた句です。
多田幸寺のことを思うとき、 六十年の時を超えて今もこの句が浮かびます。 何の素晴らしさもあるのですが、 何よりも多田幸寺への新一君の思いを共にする心が、私自身にもあるからです。

私の世代の子どもにとって、寺や神社は祭りや報恩講にお参りする場でありましたが、 何よりも学校が空ければ陽が落ちるまで、休みの日には日がな一日、とことん遊ぶ場でありました。
多田幸寺は臨済宗妙心寺派のお寺で、村の北東の小さな岡のような田村山の麓にありました。 村の誰からも山にある寺 “山寺” と呼ばれていました。
私も子どものころから今に至るも”山寺さん” と呼ばせていただいています。 ご本尊は薬師如来さまです。

私は村にあるもう一ヶ寺の浄土真宗大谷派大雲寺の門徒の家に生まれたのですが、 今振り返り、 子ども心に信仰へのお導きをいただいたのは、 多田幸寺であり、 多田幸寺の和尚さん、寺庭さんであったとの思いがあります。
多田幸寺への親しみは、 節分や涅槃会、 灌仏会、 施餓鬼の仏事や、 何よりも和尚さんが夏休みに開いてくださった朝の体操や寺子屋にありました。 六時半、朝日に輝く和尚さんのピカピカの頭、 国防色のズボンに白いシャツ、 「オイチ・ニ・サン・シ」の号令、 「背筋を伸ばせー」 のかけ声、顔を見合わせクスクス、 けれどもみんなど真剣でした。
朝ご飯を食べに帰り、八時に本堂、 始めと終わりにお薬師さまに手を合わせ、 夏の友や絵日記、 夏休みの宿題のほとんどはこの寺子屋で済ませてしまったのです。
終われば、和尚さんのお話に棒相撲や線香回し、 虫取りや蟻地獄探し、 私たちの夏休みは多田幸寺での夏休みだったのです。

和尚さんの忘れられないお話はいくつも。今も夏、蝉の声を聞くと思いおこします。
小学校の四年生の時でした。
その日も蝉がミンミン、シャンシャン、ジー…… と本堂の周り、 田村山全体に鳴いていました。
和尚さんがおっしゃいました。”みんなはセミ好きかな” 、誰もが “だいすき! 今日もセミとりするよ” と、 わいわいガヤガヤひとしきり。
和尚さん “おしょうさんも、セミ大好きだよ! 身体をふるわせ一生懸命に鳴いてるね!………今鳴いてるセミ、明日も鳴くかな!どう!………セミの命はね一週間だよ!!今鳴いてるセミは来週の今日はもういないんだよ!!……… このおしょうさんも、 いつか、この本堂に立てないときが来るんよ!………” と、 本堂はシーンと。
静かになった本堂の皆に、“ 見てごらんあのセミさんを!羽を身体をあんなにふるわせ、 小さな口から精一杯の声を出して、 ど真剣に生きてるね!………わたし、 ぼく、ここよ、この木さんがいつ来てもいいよって! この木さんのお陰でこんなに元気に歌えるの!………凄いね、 すばらしね!………..おしょうさんも、あのセミさんのように、 おしょうさんを支えてくれている人や動物や昆虫、 この田村山や田んぼ、 びわ湖や大空、 お陽さんやお月さんや星さん、風や雨さんにお礼を言いながら、 一緒に一日一日を、 生きて行かせていただこうと思います!“
これが多田幸寺での夏休みだったのです。

節分は子どもだけで本堂いっぱい。 田村山に響かんばかりに 「鬼は外、福は内」、 熱いお湯の入った鉄瓶の中の豆を、 小さな竹の柄杓ですくい上げる、これがすーとは行かない、 「自分の歳だけ豆を食べると元気でよい子になります」と和尚さん。…….
分からないままに懸けられた一枚の大きな絵に手を合わせ、 どうして象や虎や孔雀が泣いているんだろうと、 たくさんの動物や鳥が悲しむ姿が心に刻まれた涅槃会。
なんとか母が用立ててくれた瓶を手に多田幸寺へまっしぐら、 花で飾られた屋台の真ん中に、手を上と下にされた小さな仏さまが立っておられる。 竹の柄で仏さまの頭から甘茶をかけ、 持ってきた瓶に甘茶を、 友達と石垣に腰を並ベゴクンゴクンと。 口中に広がる甘さ、 一瓶飲み干しては屋台へ、 「ああ、もう動けん!」 花祭り灌仏会の一日。

もうこの頃では、その声を耳にすることはなくなってしまいましたが、 六月の初めになると、 田村山に鳴き声から 「仏法僧」とよばれるコノハズクが毎年渡ってきました。 “ぶっぽうそう! ぶっぽうそ!” と夕方や朝早く、その声はどこか寂しく侘しげで、 その声を耳にするとき、 和尚さんを囲んで村中の子どもの声で溢れた楽しかった多田幸寺の日々への郷愁、それが思春期の門に立った少年新一君の心に去来したのではないでしょうか。
そうして、その頃の私たちには何も分かっていなかったのですが、 子どもの心の深淵、 魂と云っていいところで、 多田幸寺での日々は仏や人、 自然や人生、 喜びや悲しみ、 辛苦や慈悲、 生きることのすべてが、静かに流れ磨かれていたのだと思います。

お釈迦さまがお生まれになり、 七歩歩かれ両の手を天と地に指され『天上天下唯我独尊』 と申されたというお話、『人身うけがたし、 今すでにうく』 お釈迦さまのお言葉、 知るのはずっと大人になってからですが、 山寺の和尚さまはその教えを村の子どもたちにお教えくださったのだと思います。

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