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山と湖、 仏さまをいただき

湖北の風土の象徴は信仰、 湖北のほとんどどの村にも鎮守の杜があり、ひときわ高い寺院の甍がある。 それをごく当たり前のように思ってきたが、 そうではないことに気づかされた。

全国の寺院総数 75,924ヶ寺 (日本寺院総艦)滋賀県 2,556ヶ寺 湖北702ヶ寺 (角川地名辞典) 一ヶ寺あたり人口は、全国1,679人、 滋賀県 547人、 湖北234人、 神社数は全国79,012社(神社本庁問い合わせ) 滋賀県 1,433社、 湖北 432社、 一社あたり人口、 全国1,613人、 滋賀県 979人、 湖北380人となり、 寺社共に、 湖北は全国でも際だって多い地である。

この信仰心篤い湖北の風土はどのように生まれ育まれてきたのか。

山紫水明の湖北の自然、 暮らしを共にする里山、壮麗な深山、 そこに人々が人智を超えた精霊 (魂)の宿る地といただき、 湖北のすべての水を集め泰然と輝き、 暮らしの糧、癒やしと憩い、 異郷との交わり、 清澄な水をたたえるびわ湖、 そこに自らの汚れを感じ、 糺し、 明日への希望をいただいてきたのではないか。

かかる自然との関わりの中で、 自然の恵みに感謝し、畏敬の念を抱き、 二千年という日々が積まれてきたのだと思う。 その風土の上に、 『文明の通り道』 という湖北の地理的位置を背景に、 大和に国家の中心が形成されるようになった紀元4世紀頃から都や異国の文化・仏教が数百年の時間をかけて、この地の人々の心を捉えるようになったのだと思う。

高月・伊香には多くの観音が祀られ 『観音の里』 とよばれている。
早春に神社や観音堂で営まれる 『オコナイ』の盛んな地でもある。 「修二会」 (お水取り)の営まれる東大寺二月堂のご本尊は 「十一面観世音菩薩」 であり、 湖北の『観音の里』 と東大寺との、その信仰の関わりを思う。

湖北には浄土真宗の寺院が数多くある。 総寺院の90%を越えている。 湖北は、 15世紀、 浄土真宗本願寺派の蓮如上人の近江 北陸布教の道筋であった。
中世の動乱期、特に戦国期の湖北は 「天下布武」 の要の地であり、 目の前で繰り返される過酷な兵乱の日々に、 湖北の人々は、 社会や人間の非常・無情・宿業を感じ、 阿弥陀信仰への思いを深めたに違いない。
旧浅井町の三田の集落には三百六十体もの石仏が祀られている。 三田は浅井家の武将三田村左衛門の地で、今も土塁が残っているが姉川合戦の主戦場の一つ、命を落とした雑兵を弔ったのではないだろうか、ここにも篤い信仰、 信心を思う。

奈良国立博物館資料室長の西山厚さんが、 『仏教発見』という著書の中で、東大寺の「お水取り」 や薬師寺の 「花会式」の場にいると、 仏と人とが 『親しい間柄』 にあることを感じると述べておられる。

神仏への親近感、親しさを湖北の信仰、 風土の中にも私は強く感じる。 「お寺」 「お宮さん」 「オコナイさん」「夏中さん」 「まわり仏さん」 とても親しみのある呼び方であり、 私の母も村の誰もが、 「なむあみだぶつ」 ではなく 「なまんだぶー」 「なまんだー」だった。

『南無』 は 「大好きということ」 とおっしゃる西山厚さんに倣えば 「阿弥陀さん大好き」 と、 そう思ってご本尊の阿弥陀さまを拝めば、 “にこっ!” と微笑んでくださっているように、神や仏を「お仲間」 「おともだち」 とよびたくなるほどの神仏との親しさを、 湖北の人々の信仰の姿に感じる。

年々、夏の暑さが厳しくなっている。 このところ 『酷暑』 の言葉そのままの夏である。 寝苦しいまでのその暑さは、 地獄のような世情が一層強くさせている。
その暑さの中、 蝉しぐれに導かれ、 湖北の村から村へと歩きつづけた。 じんじんと照る真夏の太陽の下、 稲の花が開き、 今年も豊作の予感させる。 一面、夏の匂いに包まれた緑の杜とひときわ高い甍をいただく湖北の村は、穏やかに鎮まっている。

小さな村のお寺の境内に腰を下ろし、涼やかな木陰の風を頬に、私は、 湖北のこの篤い信仰の中に、この国の “絶望” を越える 『標』 私の “迷い” を覚ます 『標』 があるのではないかと静かに感じている。

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