書いた人:釋 隆雲
長く暮らした自宅で「限界まで暮らしたい」と話していた母が、入院をきっかけに老人ホームへの入居を自ら希望するようになりました。わずか数カ月で変わった考えに驚きながら見えてきたのは、記憶や常識、こだわりさえも移り変わっていくということ。そして、人に頼り、与えられることを受け入れる変化でした。身近な介護の経験を通して、「無常」をあらためて見つめます。
母の変化に驚かされて
記憶というものがいかに摩訶不思議であいまいであり、人にとって重要なものでありながら、過去に囚われすぎることが葛藤を増やす材料にもなるのだと、ここ数日で強く感じさせられました。
一番のきっかけは、6月末まで自宅で一人暮らしをしていた母が背骨を傷めて入院し、8月7日に退院予定ではありますが、退院後は自宅ではなく有料老人ホームに入居することになったことです。
そんな母の変化から、「無常」とともに、さまざまな「記憶」「経験」、そこから生まれる「常識」「こだわり」というものまで大きく変化することに驚かされました。
母は20年前に父である夫を自宅介護で看取り、それから一人暮らしをしておりました。週に1〜2回、私も訪問して過ごしておりましたが、一人暮らしに一軒家はどうかと思い、いろいろと提案しても、いつも「私はこの家が好きで、ここで限界まで暮らしたい」というのが母の口癖でした。
たしかにホームセキュリティにも入り、近所は知り合いばかり。親戚も町内にいて、私の自宅からも車で15分でしたので、その気持ちは理解できていました。
母に介護が必要になった場合は、おそらく自宅でヘルパーさんや訪問看護、往診医などに支えてもらいながら過ごすのではないかと、訪問介護をやっている自分としては想像していました。
また、介護認定(介護の必要度合い)が軽ければ、それは結構なことなのですが、必要な介護サービスの多くを家族が担うか、全額自己負担でヘルパーを頼むことになります。金銭的には高級な老人ホームより安価かもしれませんが、いろいろ大変なのは同業者として分かっておりました。
「施設に入りたい」という予想外の言葉
しかし入院中、母が予想もしない言葉を発しました。
「自宅で一人暮らしは不安ばかりだから、あなたの徒歩圏で良い施設はない?」
私は、これはもう入院中に多い「せん妄か、認知症が進んだのでは」と思い込み、何度もいろいろな角度から質問して確認しました。
近所の懐かしい話、友人の話、家を母の好みに建て替えて喜んだことなど、じっくりと話しました。しかし母は、「新聞とセコムと東都生協は止めた? インターネットも止めないともったいない。電話は?」と、しっかりしています。
本当に2か月前とは別人です。思い出せば、たまに「もうこの家では暮らせない」という言葉もありましたが、それでも本当に驚きました。
さいわい、私の家から徒歩圏でリハビリもしっかりしている老人ホームに空きが見つかりました。母は私の犬たちにいつも会いたがるので、それも可能な施設で、無事に契約することができました。
もちろん、「やっぱり自宅に帰る!」となることも想定して、自宅もそのままではあります。それにしても、無常とはいえ、この大きな変化には驚きました。
与えられることを受け入れる勇気
理由を尋ねると、「強盗が怖い」「食事や洗濯、掃除など、一軒家での暮らしは面倒」ということが一番多く出ました。また、私の家から徒歩圏で、犬にいつでも会えて、お酒も飲める。日常の家事を他の人がやってくれるのであれば、それが良いということでした。
入院が生まれて初めてだったこともあり、「皆が親切にしてくれる。ご飯も三食持ってきてくれる」と感激していました。
与える立場から、与えられる立場へ。それを受け入れる「勇気」が、母にとって大きな変化であるように思います。そこには、「私はしっかりした人間として、自力で生きなければならない!」というものが、少し緩んだようにも見えました。
私は逆に、すべてをネガティブに考えてばかりいました。あれだけ自宅が好きな母に、どうやって老後を過ごしてもらうかは問題でした。入院したときから、退院後をどうするか。介護の仕事をしているせいもあり、「大変だ!」と心配ばかりしていました。
部屋をどのように改装するか、ヘルパーはどこに頼むか等々、考えておりました。まだどうなるかは分かりません。「無常」でありますから……。
世の中は流れていくもの
全体的な流れとしては、驚きの連続でした。母を見ていると、何か「大きな囚われから離れられた雰囲気」を感じます。
「甘える、人を頼る勇気と、自分の中での優先順位の変化」
そこからあらためて強く、「世の中は無常であり、流れていくもの」との認識が強まりました。それらの理解も、仏智のおかげであります。
南無阿弥陀仏。




















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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