書いた人:伊藤勇気
会社や学校、スポーツチームなど、人が集まる場所では、ときに特定の誰かへ責任が集中し、その人を責めることで集団の均衡が保たれているように見えることがあります。本レポートでは、ワンマンなリーダーやその顔色をうかがう管理者によって「悪者役」が生まれていく構造を見つめます。そして、責められる側に置かれた人へ、自分を守ることの大切さを伝えます。
「責められる人」が生まれる集団
ある集団、チームにおける話です。会社でも、学校でも、スポーツチームでも、どんな形に読み替えてもらっても構いません。
何かあったら、その人のせいにする上役の人間。気が付いたら、周りも寄ってたかってその人を責めている。今の時代、暴言や暴力こそないかもしれませんが、チクチクと言葉で責めています。
周りから見ても不快です。ハラスメントとして立派に成立します。ただ、集団心理は恐ろしい。そういう状態の中で「責められている」人は声も出せず、何も行動を起こすことができず、枕を涙で濡らすのでしょう。
なぜ、そうやって「責められる」人がいるのでしょうか。
「責めている」人は、どういう心理なのでしょうか。
見かけ上の安定をつくる「悪者役」
まず、チームのリーダーがワンマンタイプであるということ。やっていることに絶対的な自信がある、もしくは他人を信用できず、すべて自分で確認したがるタイプの人間です。間違った知識を持っている場合だと、取り返しのつかないことになります。
次に、その下につく管理者。リーダーの目に付かないように、機嫌を損ねないように振る舞います。また、自分に矛先が向かないように、誰かを「悪者役」に仕立て上げることもあると思います。これが「責められる」人になるのです。
「責められる」人は、一番下の人間とは限りません。立場的にハラスメントだと声を上げづらい、ある程度責任のある人間が標的になることもあります。その人を寄ってたかって、上からも下からもチクチクと「責めて」、チームの見かけ上の安定をつくり出します。
当然、こんなものは虚構です。何の形もない、中身のない空っぽのチーム。いずれ破綻するでしょう。目的遂行のために、チームは構成されるはずです。トップの管理能力がなく、フォロワーも機能していないチームに、目的遂行能力があるとは思えません。
まず、自分を守ること
今日もどこかで、悔しい思いをしている人がいるでしょう。あなたがそうかもしれません。その人たちに向けて。
しかし、これは永遠に続くわけでもありません。チームが変われば、また人が入れ替われば、状況は変わっていきますから。
今、悔しく辛い気持ちは、すべて自分の糧になる。まず何よりも一番大切なのは、自分を守ることです。私は、そういう人に寄り添い、応援します。
悲しむな その闇破る 光あり
嘆きの郷は 随喜の郷に




















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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