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子どもに期待するのをやめられない――お釈迦様の言葉が教える「期待」と「信頼」の違い

子どもに期待するのをやめられない――お釈迦様の言葉が教える「期待」と「信頼」の違い

「子どもに期待するのを、やめられません」

40代後半の女性の方から、こんなお便りをいただきました。

高校3年生の息子がいます。私が学歴で苦労したので、息子には良い大学に行ってほしいと、つい口を出してしまいます。息子はどんどん口をきかなくなりました。頭では本人の人生だとわかっているのに、子どもに期待するのをやめられません。

これは、本当によく聞くお悩みです。

お釈迦様が説いた「私には子がある」という悩み

お釈迦様の教えを集めた『法句経(ダンマパダ)』に、こんな一節があります。

「私には子がある」「私には財がある」と言って、人は思い悩む。けれど、自分自身ですら自分のものではないのに、どうして子が自分のものであろうか――。

二千五百年も前に、まさに今日のお悩みの核心を突いた言葉が残されているのです。

子どもは「授かりもの」、そして「お預かりしたもの」

お子さんは、自分のものではありません。授かりものです。そして、お預かりしたものなんですね。

「自分のもの」「所有物」「わが子は私の子」。

そう思ってしまうから、口を出したくなる。思いどおりにならないと苦しくなる。今回のようなことが起こるのだと思います。

仏教では、この世のすべては関わり合いの中にあって、「これは私のもの」と言い切れるものは何ひとつないと考えます(諸法無我)。わが子も例外ではありません。

「期待」と「信頼」は、まったく別のもの

結局、期待するということは、「私がこうしてほしい」という私の願いなんですよね。

一方で、信頼というのは別のお話です。その子を、そのまま信じていくこと。

期待をすることと、信頼をすることは、まったく別のことなのです。

期待ほど、重たいものはない

期待ほど重たいものはありません。ご自身にも、きっと覚えがあるのではないでしょうか。

自分が学歴で苦労したから、わが子には苦労してほしくない。それは、まぎれもなく親の愛情です。

けれど、その愛情の上に「期待」を乗せてしまうと、とたんに重たくなってしまう。受け取る側は、もうしんどい、しんどい。息子さんが口をきかなくなったのも、その重さのせいかもしれません。

期待を手放すと、信頼が残る

ちょっと、期待は手放してみましょう。

期待を手放したからといって、愛情が減るわけではありません。

本当に大事なのは、信頼することです。期待を手放すと、信頼が残ります。

ぜひ、全面的に信頼して差し上げてください。

あなたがお育てになったお子さんですよ。大丈夫です。しっかりと信頼して、ただただ見守っていただければいいのだと思います。

見返りを求めずに信じるということについては、こちらの記事でもお話ししています。

▷ 期待と信じる心(信心)――見返りを求めないということ

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わが子のこととなると、頭ではわかっていても、つい口が出てしまうものです。

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この記事をお話しした人

竹下暁蓮(たけした ぎょうれん)
ヨガを続けながら仏門へ。病と、大切な人の喪失を経て、あなたの今に寄り添う僧侶。

約550年つづく浄土真宗のお寺・慈徳山 得藏寺が運営する、誰にでもひらかれた、やさしい仏教の入口「仏陀倶楽部」でお話ししています。

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監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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