書いた人:仏陀倶楽部 会員
病気がなく、体が自由に動くことを、私たちは「健康」と考えがちです。しかし、身体にさまざまな制限があっても、日々の楽しみや喜びを失わずに生きることはできます。本レポートでは、晩年の妻との暮らしを振り返りながら、健康であることと幸せであることの違い、そして仏教の教えに照らして「今あるご縁を生きる」ことについて考えます。
妻の姿から気づいたこと
私たちは一般に、病気がなく、身体が自由に動くことを健康だと思っています。
私の妻は晩年の十年間、難聴、下肢不随、人工肛門、尿道カテーテルという状態でありながら、一緒に旅行を楽しみ、日々の生活を楽しむことができました。
最期の半年間も、病院に入院し、自力で移動することが困難な状況になりながら、数独やクロスワードを楽しんでいました。
私はその姿を見て、健康と幸せは同じではないことに気づきました。
病気や老いとともに生きる
仏教では、人生には「生」「老」「病」「死」の苦しみがあると説かれており、病気や老いを避けることはできません。しかし、その現実を受け入れながら生きる道も示されています。
私は妻を通して、健康だから幸せなのではなく、与えられた人生を受け止めながら生きることが幸せにつながるのではないかと思うようになりました。
病気や障害があっても、人生の喜びを見いだすことはできます。それが私にとって健康についての大きな学びとなりました。
今あるご縁を大切に
仏教では「諸行無常」と説かれるように、健康な身体も永遠ではありません。
大切なのは、健康であり続けることではなく、今与えられているご縁を大切に生きることです。私の妻は、そのことを自らの生き方で実践していたように思います。
私は妻の生き方を通して、健康であることと幸せであることは、必ずしも同じではないと学びました。
病気や障害によって多くの制限があっても、その中で喜びや感謝を見いだしながら生きることができます。健康は大切ですが、それ以上に大切なのは、今あるご縁を受け止めて生きることではないかと感じています。
南無阿弥陀仏。



















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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