書いた人:仏陀倶楽部 会員
私たちは、自分が見聞きしたことや経験してきたことをもとに、日々さまざまな判断をしています。しかし、その判断の前提となる世界をどこまで本当に見渡せているのでしょうか。僧侶を目指し、仏教の教えに触れるなかで気づいた、自分自身の「執着」と判断の限界。本レポートでは、人の言葉の受け止め方や、判断するときの姿勢について考えます。
自分が見えている範囲だけで判断していた
私の人生は、多くの誤解をしながら過ごしてきました。それは、自分の判断にも大きく影響してきたことです。これまでの私の価値観は、私が見えている範囲での判断に過ぎませんでした。私がこのことに気づいたのは、僧侶を目指すようになってからでした。
仏教の教えだけではなく、人の言葉をどのように聞くかということを愛葉代表の著書から学び、人の意見を「貪瞋痴」に当てはめて考えることで、私自身も人の言葉の捉え方が変わってきました。
そして、強い意見を持つ人ほど「執着」、つまりこだわりが強く、自分を絶対化している傾向があることにも気づきました。同時に、自分に足りなかった「怒り」をコントロールする心のあり方についても学びました。
自分の怒りには、「自分が100%正しい」「自分は間違っていない」という執着が前提にあることにも気づかされました。この執着は怒りだけではなく、人とのコミュニケーションにも現れます。自分の考えにとらわれることで、他人の声が聞こえにくくなっていたことにも気づきました。
今は、人の意見の背景にある思いや執着を「貪瞋痴」という視点から考えて聞くことで、以前より冷静に聞き、客観的に捉えられるようになってきました。
また、自分自身の「執着」も意識しながらコミュニケーションすることで、人に対して比較的やわらかいアプローチができるようになり、感謝を伝えてもらえることも増えてきています。
見えていない世界のほうが大きい
人は、五感を通して世の中を感じています。ただ、それは自分が直接感じられる範囲のものであり、それがすべてであると考えてしまうと、間違いにつながることがあります。
その奥には目に映らないものもあれば、感覚では捉えきれないものもあります。私たちにはすべての縁起を把握することはできません。
私が気づいたのは、目の前に見える世界は世の中のごく一部に過ぎないのに、私はそれがすべてであるかのような錯覚の中で考え、生きていたということでした。
私の目の前にある世界は世の中のごくごく一部です。見えていない範囲のほうが圧倒的に多いのです。その見えない範囲には、遠いところで起きている戦争や飢餓、迫害もあります。
もっと身近なところにも、病院や施設の中で動けない人、それを介助している人たちの姿があります。そして、私が眠っている間に起きていることも当然ながら私には見えていません。
そう考えると、私たちが見えていない世界のほうがはるかに大きい。それでも私たちは、知識や経験によって見えない部分を補い、まるで全体を理解したかのように錯覚してしまうことがあります。
それでも判断しなければならない
ここで大きな問題となるのは、「すべてが見えていない人間に、正しい判断やポリシーを持つことはできるのか?」ということです。
人は仕事でも家庭でも、常に判断を迫られます。しかし、その判断に関係するすべての因縁を把握することはできません。そうである以上、自分の判断を絶対的なものとして断定することはできないのだと思います。
私たちは判断が必要となったとき、自分の判断のもとになっている情報が絶対ではないと認識し、謙虚な姿勢で臨む必要があります。
龍樹菩薩の中道・空の智慧を、正信偈では「悉能摧破有無見」という一句で讃えています。存在する、存在しないという二つの極端な見方への執着を離れ、縁起・空の真実に目覚めていくことを示す言葉です。
自分の判断を絶対にしない
仏教は単純な結論を与えるというよりも、「すべてを見渡せない自分の限界」を自覚し、結論に執着する心を解きほぐしていくことを教えているのだと私は受け止めています。
判断が必要なときには信念を持ち、責任を持って自分の判断を示すことも必要です。しかし、それが絶対ではないことを忘れてはいけません。
謙虚な姿勢も持ちながら判断を示していくことで、より多くの意見が聞こえやすくなり、結果として、より良い方向へ向かえる可能性が高くなるのではないでしょうか。
南無阿弥陀仏。




















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
コラム一覧 → こちら