書いた人:釋 隆雲
母親の突然のけがをきっかけに、長年住み慣れた実家が無人となりました。家人のいない静けさに寂しさを感じながら掃除をしていると、聞こえてきたのは鳩の鳴き声でした。現れては消え、また聞こえてくるその声から感じたのは、すべてが移り変わる「無常」です。変化への恐れと、その変化によって生まれる救いについて振り返ります。
夜中に届いた一本の電話
ある日の夜中、私は自宅のある東京を離れ、軽井沢に来ていました。
すると、めずらしく従姉妹から電話がありました。しかも、夜中の1時20分という時間です。「何か起きた」と思って電話に出ると、東京で一人暮らしをしている母が腰を痛めて動けなくなり、スマートフォンも手の届くところになかったため、暗記していた母の実家の電話番号に電話をかけたとのことでした。そこには叔母と従姉妹が暮らしています。
叔母も都内に住んでいるため、すぐに母の家へ向かいました。しかし合鍵がなく、中に入ることができません。
それから約2時間後、私たちも軽井沢から到着しましたが、今度は鍵だけでなくドアチェーンも掛かっていて、やはり入れません。勝手口の鍵もなく、どうしたものかとバタバタしていると、契約しているセコムのセキュリティが反応し、セコムの方が駆けつけました。
事情を説明してセコムの方が帰った後、ホームセンターが開くのを待ち、チェーンカッターを購入して切断し、ようやく無事に家へ入ることができました。傍から見れば大泥棒のようでしたが、ご近所は知り合いばかりなので大丈夫でした。
母は背骨を圧迫骨折しており、救急車で運ばれ、そのまま入院となりました。母自身も、もう一軒家での一人暮らしは怖いため、私の家から徒歩圏内にある施設に入りたいと言いました。急きょ探したところ、すぐ近くに良い施設が見つかり、退院後はそちらで暮らす予定です。
家人のいない実家で
そんなあわただしい日々のなか、無人となった母の家を掃除するために訪れました。毎週のように通い慣れた私の実家は家人を失い、静まり返っていました。しかし、やがて鳩の鳴き声が聞こえてきた瞬間、なぜか摩訶不思議な癒やしを感じました。
鳩の声が聞こえ、静まり、今度はほかの音が聞こえる。それを繰り返しているうちに、「この不思議な感覚は何だろう」と思いました。うまく表現できませんが、それは「無常」であるという感覚なのかもしれません。
数日前まで、60年以上にわたって人が暮らしていた家です。私自身も結婚するまで暮らし、その後も毎週最低一度は犬を連れて遊びに来ていました。父もこの家で自宅療養をし、亡くなりました。
思い出の塊であるはずの家に、もちろん執着はあります。家もしばらくは残すつもりです。それでも、今のところ誰も住む予定のない家は、やはり寂しく感じられます。
消えては、また聞こえる声
しかし、その寂しさをかき消すかのように鳩の鳴き声が聞こえてきます。掃除をしながら耳を澄ませていると、声は聞こえたそばから消え、やがてまた聞こえてきました。その繰り返しに、なぜか癒やしをいただきました。
この家の歴史は、もちろん縁起によって起きてきたものであり、私のなかに印象として残る因果でもあります。「無常」によって家人がいなくなりましたが、同じように「無常」によって、これからも変化していきます。
鳩の鳴き声も、聞こえたと思えば消えてしまいます。しかし、消えるからこそ、新しい鳩の鳴き声がまた聞こえてきます。
わからないときに湧いてくる念仏
その活動自体は、まさに人智を超えた現象です。そして、現象そのものがまさに「我」であるのですから、何もかもが摩訶不思議です。
すべてが南無阿弥陀仏。
わからなくなったとき、混乱したときにこそ湧いてくる南無阿弥陀仏は、他力そのものであり、無明で煩悩具足の私を導いてくれるように感じました。
ありがたし、ありがたし。






















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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