書いた人:仏陀倶楽部 会員
長く続いた生きづらさと過酷な職場環境の中で、四国遍路へ出た経験は人生の大きな転機となりました。僧侶への道を考える中で、真言宗や禅の修行にも心を向けながら、最後に響いたのは親鸞聖人の『嘆異抄』にある「他力」の教え。人生を自分でコントロールしようとしてきた歩みから、流れに身を委ねる感覚へと移っていく過程が語られています。
生きづらさの中で向かった四国遍路
物心ついた頃から生きづらさを感じており、それはつい最近まで続いていました。
特に30代前半に働いていた職場は、早朝から深夜までの残業が常態化したブラック企業でした。上司のパワハラにより、頭には500円玉大の脱毛斑が無数にできるほど追い詰められていました。土日も心休まることはなく、有給休暇も取れず、心身ともに限界に達しようとしていた32歳の夏のことです。
私は夏休みを利用して、かねてからあこがれていた四国遍路の旅に出ました。本来の休暇は土日を含めて1週間ほどでしたが、これまで取れずにいた有給休暇を「クビ覚悟」で強引につなげて、旅に出ることにしたのです。
私にとってこれは単なる旅行ではなく、「ここで結果が出なければ、この人生を終えよう」という、命を懸けた決断でした。結果として、会社に無理を押し通してクビになることもなく、40日ほどの行程で歩き遍路を成し遂げることができました。この経験は、今も私の人生の礎となっています。
僧侶になるという問い
遍路の道中、多くの僧侶の方々と出会いました。ある僧侶から「あなたは僧侶になったほうが良い」と言われたことがありました。当時は僧侶になるなど想像もつかず、聞き流していました。しかし、還暦を目前にした今、その問いかけが日増しに心の中で大きくなっていきました。
僧侶への道を志した時、遍路のご縁から真言宗の門を叩こうと考えました。弘法大師・空海の足跡をたどる遍路の道は、真言宗そのものです。僧侶になるのであれば高野山大学へ行くべきだと資料も集めましたが、正直なところピンときませんでした。
厳しい修行や学問を修めた先に僧侶という結果がある、という形式的な流れに違和感を覚えたからです。また、私は以前から坐禅を実践しており、道元禅師の永平寺で雲水の門を叩くことも考えました。しかし、そこにもやはり違和感がありました。「只管打坐(しかんたざ)」はたしかに悟りへの道ですが、私にとってそれは、ある意味で「形」に過ぎないように思えたのです。
仏教界特有の権威や形骸から逃れたいと願い、僧侶の道をあきらめかけたその時、愛葉代表の著書『人生を変えるのに修業はいらない』と出会いました。そしてその流れから親鸞聖人の『嘆異抄』を読み、確信を得たのです。
「他力」という教えに出会う
私に確信をもたらしたもの、それは「他力」という教えでした。この教えは、これからの私の生き方にぴったりとフィットしたのです。
これまで、私は仕事を通じてそれなりの成功を収めてきたつもりでした。ビジネスマン時代は、こまかくスケジュールを組み、予算を立て、達成のために試行錯誤を繰り返してきました。目標を達成しても、すぐに次の目標を追う。その繰り返しでした。
さらに、自分がすべてをコントロールしていると思い込み、うまくいけば自分の手柄にし、失敗すれば環境や他人のせいにするという愚かさを抱えていました。
いわゆるラットレースに疲れ果てたある日、ふと気づいたのです。「自分がすべてをコントロールしている」というのは錯覚で、実際には何もコントロールなどできていないのではないか、と。
自分の人生をよく観察してみれば、呼吸をはじめ、ほぼすべてが「自動運転」です。ただ、起きるべきことが起きている。その流れに心身を委ねてしまえば、どれほど楽に生きられることか。
そこから私は、人生で起こるさまざまな出来事を可能なかぎり俯瞰し、まるで映画を眺めるように楽しめるようになりました。これは、これまで「すべてを自分でコントロールしなければ」と思い込んでいた自分にとって、革命的な気づきでした。
大いなる流れに身を委ねる
愛葉代表の著書との邂逅もまた、必然の流れのままに起きたことであり、これに随順することが、他力の本旨であると感じています。
今、得度の道を目の前にしつつも、形式や名目に拘泥することはありません。ただ、私を突き動かしてきたこの大いなる他力の流れに、心身を委ねていくこと。それこそが、私にとっての僧侶としての歩みなのだと感じています。



















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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