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シワや白髪が増えて、鏡を見るのがつらい

「シワが増えて、白髪が増えて、鏡を見るのがつらい」

そんなお便りをいただきました。鏡の前に立つのが苦痛で仕方がない、という切実なご相談です。

もうしょうがないやん、しゃあないやん——と、まずはそう言いたくなります。でも、それだけでは終われないくらい、この辛さに心当たりのある方は多いのではないでしょうか。

鏡を見るのが辛くなる、本当の理由

シワができるのも、白髪になるのも、これ自体は誰にでも起きることです。ではなぜ、それを見るのがこんなにも辛いのでしょうか。

理由はシンプルです。「ずっと変わらへんと思ってるから」なんです。

諸行無常

これは仏教の言うところの真理です。常に変わらないというものは、この世界のどこを探してもありません。それがこの世界のあり方です。でも私たちは、諸行が常でいてほしいと願ってしまう。常であると、信じたいんですね。

若い時の綺麗だった自分。それが変わっていくのが辛くなる。でも、変わらないものなんて、本当はどこにもないんです。全員が全員、みんなが自分だけじゃなく、この世界のありとあらゆるものすべてが、崩れ去っていきます。

その現実をちゃんと見る。正しく見ていくことで、この辛さや苦痛というものは、なくなっていきます。ただそれだけ、自分の心のあり方を変えるだけです。

もちろん「嫌よ、確かにこんなシワシワな顔」という気持ちも、よくわかります。辛かったら、無理に見なくてもいい。でも、お化粧をして外に出る、というように現実と向き合わなければいけない場面では、現実を受け入れるということがとても大切になってきます。

生老病死——避けられない苦しみを、ちゃんと見る

昔、ある国の権力者たちも、死にたくなかったのだそうです。その現実を見るのが辛かったんですね。不老不死の薬がどこかにあると聞けば、それを探しに行く。見つけたと喜んで飲んでみたら、その薬には水銀が使われていることが多く、かえって命を縮めてしまう——そんな話が伝わっています。

愚かですね。こうして他人の話として聞けば「愚かだな」とわかるのに、自分のこととなると、わからなくなってしまう。それが私たち凡夫です。

でも、本当に大切なのはここからです。

生老病死

これは避けられない苦しみであって、常になるものはこの世の中にはありません。諸行無常がこの世の中のあり方であって、そのことを明らかに見ていくこと。これが私たちを苦しみから逃れさせる、唯一の方法だと、先人たちはおっしゃいます。

老いていくことは、深くなっていくこと

シワや白髪だけではありません。老いていけば、視力も、聴力も、滑舌も、いろんなことが衰えていきます。それを「若い時の方が良かった」と思うのではなく、知っていく方向に、心を向けてみてください。

若い時には経験できなかったことを知り、経験することで、私たちは若い頃よりも豊かに育っていきます。

目が見えづらくなっていくのも、耳が聞こえづらくなっていくのも、仏様のお慈悲だと思うこともできます。昔だったらもっとくっきり見えていたシワやしみが、目が悪くなることで見えにくくなっている。ありがたいでしょう。耳が聞こえづらくなっているのもそうです。いらんことを聞かなくなっている。ありがたいでしょう。

黒い毛は熱を吸収して熱いけれど、白髪になれば、それを弾き返してくれて、そんなに熱くない。そんなふうに、ありがたい部分もちょっと見てもらえると嬉しいなと思います。

そのありようを、ちゃんと見つめてみてください

常なるものは、この世の中には何一つありません。移り変わっていくもの、そして私たちは、衰えて崩れ去っていくもの。そのありようを、ちゃんと見つめてみてください。

それがちゃんと理解できたら、そんなに暗い、苦しいことではなくなります。なんなら「ほんまにありがたいな」と思えるようになってきます。

そう思えるようになるまで、自分の心に、ちょっと丁寧にこう言い聞かせてあげてください。「ちゃうねんね、移り変わるもんないねんね」って。

一緒に、歳をとっていきましょう。素敵な歳の取り方をしていきましょう。


老いへの向き合い方については、こちらのコラムもあわせてどうぞ。

メメント・モリ——「死」を見つめることは、「今」を見つめること

老いの不安——老いていく体と、健やかな心

ひとりで抱えこまないで

シワや白髪、そして老いていくこと。誰にも言えずに、ひとりで抱えていませんか。

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この記事をお話しした人

竹下暁蓮(たけした ぎょうれん)
ヨガを続けながら仏門へ。病と、大切な人の喪失を経て、あなたの今に寄り添う僧侶。

約550年つづく浄土真宗のお寺・慈徳山 得藏寺が運営する、誰にでもひらかれた、やさしい仏教の入口「仏陀倶楽部」でお話ししています。

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監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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