昨晩の自宅での鉄板焼きは、単なる食卓の風景を超えた、深い気づきに満ちたひとときでした。ジュウッという心地よい音、香ばしい匂い、そして目の前で焼き上がるキャベツの甘さや人参の歯ごたえ。それら五感で味わう体験とともに、家族の無邪気な笑顔を目にした時、私は普段当たり前のように過ごしているこの食卓が、決して永遠ではないことに気づかされました。この気づきこそが、仏教が説く「無常」の教えに通じるものがあると深く感じます。
鉄板焼きの食卓で感じる「無常」の教え
子どもたちは日々成長し、やがては各自の道を進んでいくでしょう。そうなれば、今のように家族全員で食卓を囲む機会は自然と減っていくものです。浄土真宗の教えでは、世のすべてのものは常に移り変わり、とどまることのない「無常」であると見つめられます。だからこそ、今この瞬間の出会いや共に過ごす時間がどれほど尊いか、私たちに改めて知らせてくれるのです。完璧でも特別でもない、普段通りの日常の中にこそ、実は大きな仏様のはたらきに生かされている証しが隠されています。
日常の「命」と「感謝」
食卓に並べられる一皿一皿の料理もまた、数えきれない命の支えの上に成り立っています。野菜や肉、魚、そしてそれらを育て、届けてくれた人々、料理を作ってくれた家族……。私たちは無数の命のつながりによって生かされていることを、鉄板焼きを通して改めて実感しました。
人生は思い通りにならないことばかりですが、このような日常のささやかな瞬間に、深い感謝と気づきを得られることは本当にありがたいことです。日々の生活の中にこそ、仏教の真理を見出すヒントが散りばめられているのです。今日という一日、今この瞬間を大切に味わい、無常の教えを心に刻んで生きていきたいと願います。




















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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