「他人の幸せを素直に喜べない、自分の嫉妬心が大嫌いです」
嫉妬心に悩む方から、そんなご相談をいただきました。
「嫌だ」と思う時点で、あなたは優しい
そもそも、人の幸せを心から喜べる人は、そんなに多くないと思います。「おめでとう」と言って、喜んでいるふりはしていても、本当に心から嬉しいと思っている人は、案外少ない。
でも、「醜い心が嫌だな」と思っている時点で、もう十分あなたは優しいんです。本当に心が醜い人は、そんなことは思いませんから。「自分が汚れているようで嫌だ」——そう思えること自体が、美しい心を持っている証拠なんです。
素直に喜べないのは、「比較」しているから
ただ、素直に喜べないのは、やっぱり比較しているからだと思うんですね。「私もこんなに頑張った。なのに、あの人の方が幸せなんて」。そこに、妬みの心が生まれる。
お釈迦様は、こうおっしゃっています。「嫉妬ほど、時間の無駄なことはない」と。
人と比べるのは、本当に無駄。ついやってしまうけれど、何の生産性もない時間です。私たちが見ていないところで、その人はもっと努力しているかもしれない。私たちが見ている一面が、すべてではないんです。
比べるなら、昨日の自分と
人は多面性を持っています。どの角度から見ても、結局、私たちは比べる対象ではない。みんな、人それぞれなんです。
だから、比較をなるべくやめようとしてみましょう。比べるのなら——昨日の自分と比べればいい。
昨日の自分より、ちょっとでも成長したかな。昨日の自分より、もう少しだけ頑張ってみようかな。そうやって自分と比べていると、そんな妬みの心は、だんだん出てこなくなります。
煩悩即菩提——嫉妬さえ、悟りへの糧になる
私たちの心は、筋肉と同じです。鍛えるのには時間がかかる。毎日毎日、1ミリずつでも、昨日より成長した自分を積み重ねていく。それで、心も少しずつ、自分の思う方向へ向かっていきます。
仏教(密教)に、「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」という言葉があります。煩悩がなければ、菩提(悟り)には行けない、という意味です。
ずっと綺麗なところにいたら、「綺麗にしよう」なんて思わない。「この汚い気持ちが嫌だな」と思うから、「綺麗にしよう」という心が生まれる。そこから始まって、「昨日よりちゃんとしよう」となっていく。それが、悟りにつながっていくんですね。
「醜いな、嫌だな、辛いな、悲しいな」——これも全部、私たちの感情です。この感情は、使うために備わっている。ちゃんと使って糧にして、悟りへ持っていく。
だから、「嫌だな」と思っている時点で、あなたは綺麗な心の持ち主。どうぞ安心して、その心を糧にして、前へ進んでください。
ひとりで抱えこまないで
仏教は、我慢や修行をすすめる教えではありません。ものの見方が少し変わると、同じ出来事でも、ずいぶん楽になります。がんばりすぎなくて、いいんです。
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この記事をお話しした人
竹下暁蓮(たけした ぎょうれん)
ヨガを続けながら仏門へ。病と、大切な人の喪失を経て、あなたの今に寄り添う僧侶。
約550年つづく浄土真宗のお寺・慈徳山 得藏寺が運営する、誰にでもひらかれた、やさしい仏教の入口「仏陀倶楽部」でお話ししています。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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