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山 – その清らかな地に ① 木も草も虫も獣も岩壁も 空も陽も風もそして人も

この秋、 大山、八海山、 磐梯山に登った。 大山、八海山は五合目、 磐梯山は八合目と頂上に立つことはできなかった。 それでも、大山の名の通りの山の大きさ、八海山の山の深さ、 磐梯山の霧氷と紅葉の山の香、山の素晴らしさを満喫した山旅だった。
 
生まれた家の裏が山であったことから、幼い頃から山は私にとって馴染みがあった。 その裏山は田村山と呼ばれ、 びわ湖岸からおよそ500メートル、 標高100メートル少しの丘のような小さな独立した里山であった。

山頂からは、竹生島、湖北平野、 びわ湖西岸の山野、 彦根沖の竹景島、 近江八幡沖の沖ノ島、伊吹 金糞の越前に続く湖北の山並み、 南に三重県境の霊山も望めすばらしい眺めの里山であった。

村の子どもにとって田村山は、山賊ごっこ、 虫取り、栗拾い、 茸狩り、 スキ一等々一年中、 格好の遊び場であった。 薪や枯れ葉は、燃料や畑の肥として里人の暮らしにかけがいのない大事な地であった。

山頂の一隅には、今は窪地になっているが、 明治のころまでは “鯉が池” と呼ばれた池があって、そこには水の恵みを与える鯉が住んでいたといわれ、日照りのときには、 里人がその池の周りで雨乞い踊りを奉納してきたと伝えられている。

雨乞い踊りに使われていた太鼓が、 私の子どものときには、村のお寺の縁の天井にぶら下げられていた。 今はもう田村山に関心さえ持たない時代になっているが、一昔までは村人の心に暮らしに、 確かな位置を占めていた。
 
田村山に登るのが、 私は楽しみだった。 いつ登っても、「よく見えるなあ!」「きれいやなあ!」 と眺めやっていたが、 あるときに、 「あっ••••••と」 驚いた。

頂から見えた田んぼ仕事や畑仕事をしている人が、 本当に小さく見えたことである。 北陸線を走る汽車がおもちゃのように見えたことである。 それは当たり前のことなのであるが、 そのとき、 人は 「蟻のようや!」 汽車は 「ミミズや蛇と同じみたい!」 と思ったことである。

それは子どもなりの 『驚き・衝撃』 として私の心に残り、今に至っている。 大げさに申せば、 『山』 が私に 「新しい世界」を見せてくれたことであり、 私の意識 思惟に一大転換を与えるものといってもよかった。 「僕は蟻さんと同じなんだ!」 と思ったあの日のことを私は、 ずっと心の隅に抱き続けてきた。

大人になって、 『生きとしけるもの』 『衆生』 『山川草木悉皆仏性』 等の教えをいただくにつれ、 あの子どものときの田村山からの眺めで感じた直感は、このことではなかったのだろうかと思うようになった。

ある宗教では人間を 『選民』と認識、 他の生きるもの、 草木・動物・昆虫・大地・大気等人間以外のすべてのものは、 “選ばれた”人間に奉仕すべく存在するのだと伺った。 ときに、その宗教は、自己の宗教以外を邪教、 従って、 自己の宗教を信ずるものは 『選民』、 他の宗教の人間は 『邪民』 『非人間』として排他することも辞さないといわれ、それは世界の歴史に事実として記録されている。 今もその姿は世界各地に見ることができる。
 
『天上天下唯我独尊』 の真意を私は、 生きとし生けるもの、 この世に生を受けているすべてのものは、 かけがいのない尊い存在なのだと領解させていただいている。 この釈尊の教え、 仏教の教えにお出遇いさせていただいたことは、本当に幸せなことであったとしみじみ思っている。
 
家の裏の小さな里山であれ、日本アルプスの高山であれ、山に入れば、 日頃、野に居て 『わしが、 俺が、 おまえらは阿呆めばっかしやや!』 と鼻高々にふんぞり返っている自分が、 全く姿を消してしまっている自分を感じる。 実に不思議な感覚である。

唯、黙々と山道を登る、登ることしか考えていない、否、それも考えることのない自分に出遇う。 山道の土や石や岩、草や苔や木、鳥や虫や野ウサギやや猿、 そして真っ青な空や風と 「へえ、そんなとこにいたの!踏んでしまったごめんね! とってもきれいだよ! 凄いね! ….・・・・・」 と私以外のすべてと黙って語り合っている自分がある。
 
登山道で出遇う人は、誰もが声をかけ挨拶を欠かさない。 「こんにちは! お疲れさん!ご苦労さん! もう少しよ、 がんばってね!」 と、 声を掛け合わない人はまずいない。 面と向かって出遇っても挨拶をまずしない、 こちらからしても返さない、 今のこの国の街中での人々の姿とは全く違うのだ。

この秋の磐梯山行、登山道で二歳にもなっていなかったであろうか、 赤ちゃんを背負子に背負っ若いご夫婦の登山者と出会った。
「こんにちは、 まあかわいい!」と声をかけ、赤ちゃんのほっぺたにちょこんと触れたら、 赤ちゃんがニコッと微笑み、両手を振ってくれた。 忘れられない思い出である。 山であったればこそと私は思っている。

赤ちゃんはそのとき、 お父さんの肩に揺られながら、 紅葉の磐梯山の山の気を体一杯に感じ取っていたのだと思う。 街中ではそうはならないであろう。 私もその赤ん坊に語りかけるなどしなかったであろう。

山は、人であれ、 草木、動物であれ、 山道も山肌も岩壁も、 大空も大気も風も太陽も “みんな一緒、 今を共に生きている” ということを問答無用に教えてくれる。 巷での私の相 “俺が” ではないのだ。 この秋の山旅も、その山の声を聞かせていただいた。 山を下りた私は………。

〈続きます〉

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