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あるがままの大切さ

これからの日本の教育はどう進むべきなのでしょうか?多様性とか、ジェンダーフリー、発達障害への理解、様々に声は聞こえてきますが、それがどれほど教育の現場に、家庭に、地域社会に浸透しているのでしょうか?

ほんの少しですが教育機関に身を置いて高校生や大学生と関わっている中で、理想と現実の格差を感じずにはいられません。

 自身を振り返ってみるとき、学校生活の中において、少々風変わりな生徒とか独特の感性をもったクラスメートという存在は、少なからず居ました。誰とも話をしない子、給食の偏食が極端な子、全科目の勉強が苦手な子(テストはほぼ零点)。でも美術は超得意、とか。

そんな生徒に対して、他のクラスメートは特に攻撃したり、いじめの対象にしたりすることなく、自然にクラスに存在していたと感じます。

多分、同級生も先生も、保護者たちも、「まあ、こういう子もいるよね」というゆったりとしたスタンスで、学校や地域、家庭で受け入れていた感覚があります。

 しかし、現代では、それまで分からなかったことが次々と解明されて、全ての個性や特性一つ一つに、名前を付けたり、原因を明確に示したりしています。

もちろんそれによって視界がクリアになり、生き生きと堂々と生きれるようになった人々はたくさんいると思います。それは素晴らしいことだと思います。

 ただ、そのようなレッテルを必ずしも必要としない場合もあると思います。私が関わっている生徒、学生の中には、日常生活では特に変わったところがなく、普通に過ごしている子が殆どですが、特定の場面で、ちょっとした配慮や工夫が必要なことがあります。

声をかけるタイミングや声のトーンに気を付けるとか、指示するときは出来るだけゆっくりと伝える、大きな音や光に過敏な子には周囲の環境を少し配慮する、などなど・・・。

 こんな程度のことは、何もレッテルや医学的説明などなくても、簡単にできる事ばかりです。ちょっとだけ気を配れば、その子たちは何の問題もなく学校生活が送れます。

 医学や科学の進歩で、苦しみから解放されることは素晴らしいです。これからもどんどん解明されることを望みます。が、それと同時に、もう少し皆さんのこころが寛容にゆったりとなって、他者の存在を「あるがまま」に受け入れる、懐の深さも今こそ必要なのではないでしょうか。

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