世界の子育ての情報が入り、日本の子育てはとても上手になって来たと思っています。
ただ、それでも日本独自の間違ったガラパゴス子育ても、まだまだたくさん見受けられます。
大人が子供に求めることは、
①幸せに生きて欲しい(断トツ)
②できたら大成して欲しい
くらいのことで、みんな共通と思います。
であれば、その目標に対応する適切な手段を取らないといけません。
①の子供が幸せに生きるために過程で必要なことは、優先順位順に、
①愛されたと思って生きること
②好きなことを邪魔されずに生きること
③大人になるための準備をすること(しつけなど)
④生きるって楽しいという背中を見せること
くらいがあれば十分です。
まず断トツに大切なのが①です。
愛されたと思って生きれなかった子供がどうなるかはご存知でしょうか?
そういう子供はその一番欲しくても埋められなかった穴を埋めるために、もがきはじめます。いい大学に行けたら愛されるかな?いい会社に入ったら愛されるかな?成功したら愛されるかな?中には、非行に走って親の愛を確かめようとする人もいます。
光を求めて曲がりながら茎を伸ばす花のようにくねくねともがき続けます。
でも、とても残念なことに、この目標は達成したところで、心の穴は決して埋まらないのです。達成した後も、新たな目標を立てて、埋まらない穴を埋めるために、子供は永遠に彷徨い続けないといけません。
まさに、愛を求める亡霊。これは昔の私でもあります。
難しいのが、子供を愛していない親なんてほとんどいないのですが、相手があることなので、子供側が”愛されたと思わないと意味がない”ということです。
私の親も私のことを愛してくれたと思いますが、時代は昭和。
愚息感いっぱいで、馬鹿にされても、褒められることはなし。ハグや言葉など、わかりやすい愛情表現は皆無。
五体満足に育ててくれただけで感謝していますが、この子育てでは、私はありのままで愛される存在と思うことはできませんでした。
このマインドセットを書き換えるのに、アファメーションも年単位でやりましたし、たくさんの心の勉強などもしました。すごい労力と時間が掛かりましたが、その努力はお蔭で実を結びました。
要するに私は、「愛されていないと思う自分」と「愛されていると思う自分」の両方を経験できたわけです。このビフォーアフターで、生きることがどんだけ楽になったことか。人生が180度変わります。もう愛を求めて彷徨い歩かないで良いのですから。子供にこんな努力をさせようなんて絶対に思いません。
いまは見ただけで、この人が愛されたと思って育ったか、愛されてないと思って育ったかがわかります。愛されたと思って育った人は、とても軽やかに人生を歩き、人と自由にコミュニケーションを取り、芯のある自信を持ち合わせています。幸せに生きる芯がしっかりと根付いているのです。
こんな人は恐らく自殺なんかしません。鬱にもなりにくいでしょう。私の周りで鬱になりやすい人は、大体、親との関係がすごいこじれた人です。
この幸せの芯を作れるのは、両親だけです。特に母親。外注は出来ません。
現代の親は子供の習い事に、労力を使いまくってますが、そんなスキルのようなことは、優先順位がかなり低いことで、正直どっちでも良いです。
その時間があるなら、親と子が心を通わせる時間にあててください。親に認められ、愛され、一緒に楽しい経験をした子供は、どんどん幸せの芯が太く育っていきます。
親の努力は、習い事をしないと周りに遅れそうで心配とか、いい大学に行かないと心配とか、そういう心配を消す作業に使うべきです。そこに頑張って頑張って努力をするのです。
強い心を持ち、そんなことより大切なことがある、うちは習い事なんかそんなにさせないで良い、それで子供の幸せは変わらない、と常識の圧力から、子供を守ってあげることに、最大の努力をするのです。
本当に子どもの幸せを願うなら、親が一番にする努力はまずこれです。
子供が、「わたしは愛されてるな~」って心から思えるくらい、溺愛してあげてください。
長くなりましたので、続きは次回に。