誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

「介護が終わってほしい」と思ってしまった――それは、願うこととは違います

「介護が終わってほしい」と思ってしまった――それは、願うこととは違います

「介護が終わってほしい」と、思ってしまいました。

50代の女性の方から、こんなお便りをいただきました。

認知症の母を自宅で介護して5年になります。夜中に何度も起こされ、仕事と介護で自分の時間はありません。先日ふと「介護が終わってほしい」と思ってしまいました。それは母がいなくなることを願うことだと気づいて、そんなことを考えた自分が怖くなりました。

介護が終わってほしい。それはこれ、なくなってほしいということとイコールじゃないんですけどね。よくよく考えるとそういうことなんだって気づいてしまうと、私は何を思っているんだろう、何を思っちゃったんだろうと、自分を責めてしまいますよね。

「煩悩具足の凡夫」という人間観

浄土真宗の人間観に、「煩悩具足の凡夫」という言葉があります。

煩悩を身に具えた、迷いの多い人間。それがみんなそうなんだよ、ということを、真宗では言います。

そう思ってしまう心も、仏様は責めずに、抱き止めてくださいます。

「思ってしまった」ことと「願った」ことは、全然違う話

思ってしまったということと、願ってしまったということは、全然、これまた違う話ですよね。

それだけ、追い詰められているっていうことなんですよね。

一生懸命なさるから。親御さんが少しでも心地いいように、辛くないようにと、全身全霊でそうやってなさっているから。

まず自分を休ませること。これも、親孝行だと思います。

ご自分が休んでください

誰も、親御さんもあなたを、苦しめたくてそういう状態になったわけでもない。いっぱいいっぱいになっていらっしゃることも、やっぱりどこかでわかっていらっしゃると思うんです。

いくら認知症だったとしても、やっぱり本質は自分の子供に、幸せであってほしいと思っているはずなんですよ。

ご自分が休んでください。

お一人で抱えずに、地域の相談窓口がございます。地域包括支援センターというのがあるんで、そういったところにちゃんとご相談なさったら、支えてくださる制度もちゃんと整っていますので、ぜひぜひそういったものに頼っていただいて、ご自身がお休みできる時間を作ってください。

優しくお母様と寄り添える時間。そういった時間を最後にちゃんと、とってもらえたらなと思います。

そう思ってしまうほど、あなたは頑張ってきたのです。ぜひ頑張ってください。応援しています。

介護のさなかにある方の疲れと罪悪感については、こちらの記事でもお話ししています。

▷ 親の介護に優しくなれない自分が嫌い――それは「冷たい」からではなく「疲れている」から

ひとりで抱えこまないで

介護をしていると、頭ではわかっていても、ふと自分を責めてしまう瞬間があります。

うまくいかない日があっても大丈夫。ひとりで抱えこまず、そっと話してみませんか。登録も利用も無料で、いつでもやめられます。

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この記事をお話しした人

竹下暁蓮(たけした ぎょうれん)
ヨガを続けながら仏門へ。病と、大切な人の喪失を経て、あなたの今に寄り添う僧侶。

約550年つづく浄土真宗のお寺・慈徳山 得藏寺が運営する、誰にでもひらかれた、やさしい仏教の入口「仏陀倶楽部」でお話ししています。

▷ 生きている人に関わる僧侶へ——竹下暁蓮さんが、僧侶という生き方を選ぶまで

仏陀倶楽部では、 日々の迷いや立ち止まりを、
一人で抱えずに言葉にする場があります。

※登録者2,000名超 / いつでも解除可

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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