「実家に帰るのが、憂鬱です」
40代後半の男性の方から、こんなお便りをいただきました。
お盆や正月が近づくと、気持ちが沈みます。実家に帰ると、父は昔と変わらず私のやることを否定し、母はそれを黙って見ているだけ。50歳が近いのに、実家では子どもの頃の自分に戻ってしまいます。親は大事にしたい。でも正直、実家に帰るのが憂鬱です。親不孝でしょうか。
これは、あるあるのお悩みです。
親から見たら、私たちはいくつになっても子ども
どうしても、親御さんから見たら、私たちはいくつになっても子どもなんですよね。近ければ近いほど干渉してくるし、離れて見ることができないんでしょうね。
うっとうしいなと思ってしまうのも、それはもっと多くの方が抱えていらっしゃるお悩みなんじゃないかなと思います。あなただけではありません。
親御さんも凡夫、私たちも凡夫
近しい人ほど、そうやって土足で踏み込んできてしまう。これは自然な苦しみだと思います。親御さんもやっぱり凡夫です。私たちも凡夫です。
浄土真宗では、私たちは煩悩を抱えたまま生きる「凡夫」だと考えます。それは親御さんも同じです。完璧な親などいません。近しいからこそ、思うようにいかず、ぶつかってしまう。それは人間として自然な苦しみであって、あなたやご家族が特別におかしいわけではないのです。
距離をとることは、思いやり
距離をとることも、本当にお互いを傷つけないための思いやりだと思うんですよね。別に憎いわけでもないんだけれど、愛するがゆえに、というところが本当に大きいですよね。
距離を置くことは、縁を切ることではありません
これ、距離を置くことはとても大切だと思います。縁を切ることではないので。
あまりにも憂鬱であれば、ちょっと帰る頻度を開けていくとか、何かお考えになられて。そういった中でも、やっぱり親御さんのことを気にかけられるということが、一番お互いにとっていいんじゃないでしょうか。
ぜひ、そういった距離を測ってみてください。
ひとりで抱えこまないで
実家との関係は、頭ではわかっていても、簡単に割り切れるものではありません。うまくいかない自分を責めなくて大丈夫です。ひとりで抱えこまず、そっと話してみませんか。登録も利用も無料で、いつでもやめられます。
近しい人ほど苦しくなってしまう仏教の見方については、こちらの記事でもお話ししています。
この記事をお話しした人
竹下暁蓮(たけした ぎょうれん)
ヨガを続けながら仏門へ。病と、大切な人の喪失を経て、あなたの今に寄り添う僧侶。
約550年つづく浄土真宗のお寺・慈徳山 得藏寺が運営する、誰にでもひらかれた、やさしい仏教の入口「仏陀倶楽部」でお話ししています。




















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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