誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

第七回「お金を大切にするのと、お金に執着するのは同じ?違う?」

お金を大切にするのと、お金に執着するのは同じ?違う?

仏教というと、修行中の僧侶のように「清貧な生活を送る教え」と考える人が少なくありません。でもお釈迦様は、2500年前に「経済的な安定が、家族とその属する社会の健全な秩序を維持するために重要」だと言っています。

つまり、お金を気にかけ、大切にすることは良いことだと説いているのです。お金のことを考え、お金を得ようとする姿勢に後ろめたさを感じる必要はありません。ただし、お金に執着するのはよくありません。私は「お金に執着する」というのは、多くを手にしたいと追いかけるのではなく「失いたくない」と出し渋ることだと考えます。

ムダ使いをなくして貯金を増やすために、毎月の予算を決める。投資で効率よくお金を増やしたいから、経済や投資の仕組みの勉強をする。こうした態度を「執着」だとは思いません。むしろ、お金を大切にしていると言えます。

その一方で「お金に執着する」というのは、とにかく1円でも失いたくないとお金を囲い込もうとすることです。すると、日常生活に必要なものを買うときにさえ、お金が出て行くことに痛みを感じる。

たとえ、どんなに裕福であっても同じです。持っているものが減るのがつらくてたまらない。日々、そうしてお金に執着して暮らしていたら、心まで貧しくなってしまうでしょう。

さて、お金への執着を手放そうと思ったら、「足るを知る」が役に立ちます。ノーベル経済学賞を受賞した経験のある心理学者、ダニエル・カーネマン教授の研究によると、人の幸福度は「年収7万5000ドル(約900万円)」までは金額に比例して上がりますが、この金額を越えると比例しなくなるそうです。

日本でも、年収が800万円を超えると、人生の満足度が下がっていくという研究もあります。この調査結果をどう思うでしょうか。もちろん、収入が少なくて、満足がいくほどの食べものが得られなかったり、住むところにも困ったりするようだったら、お金を得ることが直接、幸せにつながるでしょう。

でも、人の幸せには、健康、夢、人間関係などお金以外のいろいろな要素が影響します。たとえば、ほとんどの人は、年間300万円の給料をもらえる会社と、1000万円もらえる会社だったら、1000万のほうが「いいに決まっている!」と考えるでしょう。

でも、1000万円のお給料が、休みなく働いて身体を壊し、家庭も崩壊するという犠牲の結果の上に成り立ったものであれば、幸せの決算は赤字です。「収入は多ければ多いほど、いいもの」というわけではないのです。

私はお金を求めるのが悪いことだと思っていません。お金があれば、大切な人や家族を守ったり、やりたいことができる確率も高くなります。

でも、他人にあって自分にないものにばかり目を向けて、すべてを欲しがっていたら、いくら収入があっても足りません。だからこそ、心から幸せを感じる日々を送るためには「足るを知る」ことが大切なのです。

「足るを知る」と言う言葉の意味は、「必要最低限でガマンする」ではなく、自分の外側にあるものに心を動かされて欲しがるのではなく、内側に目を向けて本当に自分を幸せにしてくれるものを知ることです。

今すぐに、自分にとって何がほんとうに大切か見極めるのは難しいかもしれません。それでも、つねに「自分にとって何が大切なのか」問いかけていれば、ムダにお金を追いかけることはなくなるはずです。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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