人生に悩み、迷ったときは仏教を頼りにしてほしい。たとえ困難に思える状況に陥ったとしても、できることには力を尽くし、あとは阿弥陀様にお任せしてみる。少しずつでもそれができるようになれば、仏教を「自分ごと」として取り入れていると言えます。
さらにここで、仏教をもっともっと「自分ごと」にするために、皆さんにおすすめしたいのが「得度(とくど)」です。浄土真宗では、僧侶になることを「得度」すると言います。つまり、仏教の教えをうまく活用し、よりよい人生にするために「お坊さんになろう」と提案しているのです。
「いくらなんでも、それは極端すぎません?」と思うでしょうか。「得度する」というと、髪の毛を剃って家族や今を捨てて出家し、厳しい修行の世界に入るというイメージがあるかもしれません。
また、お寺に生まれるなどの特別な環境にある人以外は、僧侶になれないのではと考える人も少なくないでしょう。しかし浄土真宗では、剃髪する必要はありません。また、日本ではほとんどが在家仏教であるため、社会と隔絶した出家生活を送ることもありません。
江戸時代までは、得度をするには政府の許可が必要でした。そのため、勝手に得度したお坊さんは「私度僧」と呼ばれて区別されていました。しかし江戸時代以降は各宗派の権限に任されたため、いずれかのお寺に所属し、指導や手続きなどをお世話いただければ、誰でも得度できるようになっているのです。
以前、私はスマホに寿命カウンターのアプリを入れて、死ぬかもしれないと仮定した日までの残りの日数をカウントしているとお話ししました。
私がその話をしてスマホの画面を見せると、100パーセントの人が、「自分だったら、あと何日だろう?」と計算を始めます。
そして残りの日数が、たとえ1万日だったとしても、6000日だったとしても、その間に何ができるか、何をしたいか考えるようになります。これこそ「死を意識するのを“自分ごと”にした」ということです。
仏教の教えも同じように「自分ごと」にしてほしいと思っています。でもそうはいっても、仏教の教えをいくら学んでも、事あるごとに活かすのはなかなか難しいでしょう。
いくら「決断力がアップする」ビジネス書を読んでも、翌日から、何事もすぐに決めてバリバリと行動できるようにはなれないのと同じです。だからこそ思い切って「得度」をしてみる。
そうすることでお坊さんとしての自覚が生まれ、何かあるたびに仏教の教えに答えを求めるようになるでしょう。それが仏教を「自分ごと」にする、最良の方法だと思います。