仏教では「生きることは苦である」と考えます(一切皆苦)。生老病死は思い通りになるものではありません。私たちが生きているかぎり、ずっとつきまとう問題であり、苦しみ続けます。
苦しいという状態は結果ですから、起きてしまったことはどうしようもありません。したがって、問題の原因を見る必要があります。その原因の一つは、執着です。
執着とは、人や物に固執して、とらわれることを言います。何かに執着すればするほど、苦しみは大きくなります。
ということは、執着をなくせばなくすほど、人生から苦しみがなくなることになります。ですから、出家している人たちは修行することで何にも執着しない状態を目指します。
しかし私は、執着してしまう気持ちをむりに抑える必要はないと考えます。執着はある意味、物事を成し遂げる強いエネルギーになりえるからです。また、日常生活を生きる私たちが執着する気持ちを完全に手放すことは難しい話です。
「よけいな欲や執着は捨てたい」という気持ちは、言葉を変えれば、「欲を捨てる」ことに執着していると言えます。
ですから、お金が欲しいなら、とことん稼ごうと働いてみるのもいいでしょう。
好きな人に振り向いてもらおうと、あらゆる手を尽くしてみるのもいいでしょう。その結果、もし望んだ結果にならなかったとしても、自分が本当に何を求め、大切にしたいのかが見えてくるはずです。
今をよりよく生きるとは、今ある瞬間に意識を集中し、自分を幸せにしようとすることです。
そのためには、こうしてわかった「本当に大切なもの」から満たしていくことも大切です。
私にとっては、経営者としてたくさんのビジネスを運営しお金を稼ぐことよりも、ビジネスはそこそこにしてでも、心を許せる人と会い、食事をしながら楽しい時間を過ごすほうが大切なことです。
何を大切にすれば、自分が心から幸せになるのか。それがわかるまでには、あれこれ試してみる時間が必要です。本気でいろいろなことにトライしているうちに、自分なりの幸せが見えてきます。
本当に大切なものに正解はありません。人によって、大切にしたいものは異なります。ただ、自分にとっての優先順位が見えてこないうちは、よけいなものに執着してしまうかもしれません。
私がこれまで多くの人の相談にのってわかったのは、人の悩み(執着の結果)はお金や仕事、人間関係に集約されます。たいていの人はこれらのうちの何かしらに執着してしまうことで、苦しんでいるのです。
それに気づくと、執着とどう付き合うを考えられるようになります。執着しているものが、自分にとって本当に大切なものなのか? これが執着をどう扱うかを見極めるポイントです。
本当に大切なものではないとわかれば、減らせばいいだけです。そうすることで、一つ、心から大切にしたいものに近づくことができるようになります。





















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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