私は今でこそ前向きな人と言われるようになりましたが、中学生くらいまではあらゆる事に疑心暗鬼で、自分の目や耳で聞いた事以外は信じられない(逆に言えば自分の目や耳で聞いた事を妄信してしまう)人間でした。
元々持って生まれた性格や、母親の厳しい教育などが原因だったのかも知れません。人を見たら泥棒と思え。炭団(たどん)はどこまでも黒い。人は生れながらに悪人(性悪説)。などと言われ続ければ、ネガティブな性格になってもおかしくありません。
そんな私も中学の終わりくらいから少しずつ変化して来たのを覚えています。きっかけはよくわかりませんが、たぶん自分の世界の閉そく感に、ほとほと嫌気が差した時に、実父が話してくれた帰依(南無)が一つのきっかけになったのは間違いありません。帰依の正確な解釈や概念は中学生の私にはわかりませんでしたが、「帰る家がある安心感」と言う実父の説明が、私の心に響いたのは確かでした。
自分の心の中に常にある「帰る家」。これは人それぞれだとは思いますが、私の場合は小さい頃から馴染みのある仏教でした。特に浄土真宗では「帰る家」は無条件で在り続けます。〇〇しないと帰れないとか、××したら家にたどり着けないなどは決してありません。
この「帰る家がある安心感」が将来への希望と変わり、それがやがて、あらゆる多様性を受け入れられる柔軟性へと進化し、今のポジティブな感情へと繋がりました。
この世の中、辛い事も悲しい事もたくさんありますが,各人が自分の「帰る家」に気付く事を願ってやみません。