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第四回「物事は起こすのではなく、起こるもの」~人生を変えるのに修行はいらない~

第四回 「物事は起こすのではなく、起こるもの」

私たちが生きている間に起こる出来事は、「自力」で起こしていると考えがちです。でも、親鸞は「物事は起こすものではなく、起こるもの」としています。これはつまり、自力で起こせるものと、自分ではどうにもならないことの区別をしっかりつけて、自分の心の動きを見失わないようにせよ、ということです。

世の中には自力ではどうにもならないことがたくさんあります。少し考えてみても、生まれてくる家族は選べないし、どの国のどの時代に生きるかも自分では決められません。どんな学校に行き、どんな仕事をするかは、一見すると自分で選んでいるように思えますが、それすら、さまざまな状況が重なり、縁があって決まることが多いものです。

仏教では「生老病死」、つまり生まれること、老いること、病気になること、そして死を迎えることは、避けることのできない根源的な4つの「苦」だとされています。この世に生まれてくることは、自分でどうにかできることではありません。

また、生まれたからには誰でも100パーセント、いつか死を迎えます。病気になったり、老いたりすることは、もしかしたら運動をしたり食事に気を使ったりすれば、どうにかなることだと考える人もいるかもしれません。

しかし、いくら用心したところで、完璧な健康と若さを永遠に維持することはできないのです。すべての出来事を「自分で起こした」と考えていると、たとえば病気になったときに「なんで自分が……」とショックを受け、自分を責め、無気力になってしまうことだって考えられます。

私は「自分の死を意識すること」が、今を充実させることに加え、「自分の力ではどうしようもないことがある」と自覚するのに最適な手段だと考えています。

親鸞は、避けることができないことは起こるに任せ、どうやって生きるのかは自分で決めようと説いています。そして、「生老病死」のような、どんな人でも避けられないことは受け入れる。生まれること、老いること、病気になること、命が尽きることは、誰にでもいつかは「起こるものだ」と考える。そうすることで、ムダに抗うことなく、冷静にそのときのベストを考えられるのです。

それでも、「自分でなんとかしたい」という気持ちが捨てきれないときは、「他力本願」という言葉を思い出してみてください。これは浄土真宗の最も特徴的な教えの一つです。他力本願というと、他人の力をあてにする、人任せにするといった意味で使われますが、本来の意味は違います。

親鸞が「他力といふは、如来の本願力なり」と明示しているように、他力本願は自力による修行ではなく、阿弥陀仏の本願に頼って成仏することを意味します。つまり、他力とは他人の力ではなく、阿弥陀仏の慈悲の働きであり、本願とは念仏を唱えた者は必ず往生させようとする願いのことを言います。

したがって、自力で何かをする必要はない。そもそも親鸞は自力で修行に励んでも悟りは得られないと考えていたのでした。親鸞は20年の修行をしたのち、法然と出会い、他力にたどりつきました。自力に徹してはじめて知った境地と言えます。

同じように、これまで自力でなんとかしようと頑張ってきた人がほとんどでしょう。でも、自力で解決できないことが必ず起こります。だからこそ、自力ではどうにもならないことがあることを知り、それに思い悩むのではなく、物事は起こるものだと考えるようにしましょう。

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