先日、学生時代からの友人と久しぶりに会った。私の本当の家族事情を知る数少ない人物である。(毒親アルアルで私の父親は外ヅラはとても良い。よって、私のイメージは昔から親不孝者である。)
友人とお互いの近況報告をしたので、当然のように父親が原因の体調不良に私が悩まされている話題にもなった。それに対して友人が、
「もう自分の幸せだけを考えて、自分が主語の人生にするべきだ!そして、お前は幸せにならないとダメだ!」と言われた。
小学生の時から「クソ親父を見返してやる!」ことを前提においた人生を送ってきた。体調不良に陥った最近は「クソ親父に殺されてたまるか」と「俺はクソ親父に殺される運命なのか」の感情が交差する日々である。
“自分が主語で幸せになる人生”とは何なのか?
私が出した答えは、「幸せになると決まっている!」を常に意識することであった。そして、意識することで早くも変化が訪れてきた。
何故か尊敬する友人達から吉報が届き、それが自分のことのように嬉しくて仕方ないのだ。加えて、次は間違いなく自分にも幸せが訪れると確信できるのである。
僕の人生はボクシングの試合で勝利する事以外で幸せは得られない。そう決めつけていた面があったことも否めない。今こうして勝利とは別の幸せを僕も得られる。それに気づかせてくれた友人に感謝である。





















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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