アメリカで、90歳以上の人たちに「90年の人生で、後悔していることはありますか」とアンケートを取ったところ、「もっと冒険しておけばよかった」という答えが最も多かったそうです。
これを読んでいる皆さんは、現時点でどうでしょうか。何か冒険していますか? 以前、お金を大切にすることと、お金に執着することの違いについて書きました。
*第七回「お金を大切にするのと、お金に執着するのは同じ?違う?」は以下をご覧ください。
お金を大切にするとは、「お金を何に使うか」と言い換えることができます。もちろんムダ使いをなくして貯金を増やすという選択を否定するわけではありません。ここで言いたいのは、冒険という体験にお金を使ってみる、ということです。
何か欲しいモノを手に入れば、幸せな気分になるでしょう。でも実は、どれだけ手に入れたいと願ったものでも、その喜びは買った直後がマックスで、そこからは下がる一方だと言われています。
せっかくお金を使うなら、より多くの幸福感を得られる使い方をしたほうがいいと私は考えます。そのためには、「体験」を買うことが大きなポイントなのです。「体験」とは、特別な食事やコンサート、そして旅行などのことです。
「冒険」という意味を含めれば「スマホを持たずに、知らない駅で降りる」「バンジージャンプをする」「富士山登山をする」「世界一周旅行をする」など、いくらだって考えつくことができます。
なぜ「体験」の幸福感が高いかというと、旅行を例に挙げるとわかりやすいでしょう。行く前からその土地には、どんな見どころがあって、どんな名物があるのか調べるだけでもワクワクしませんか。もちろん「モノ」について、手に入れたらこうしよう、ああしようと考えるのも楽しいはずです。
でも、体験や冒険には、終わったあとも喜びを持続させる効果があります。特に友人や家族など、誰かとともに出かけた旅行は、一緒に思い出を振り返るたびに、また楽しい気持ちがよみがえるでしょう。体験や冒険は人と比較することがないのも、いいところです。
どのブランドの時計、どの年式の車を買ったかと他人と比べることはあっても、体験のおもしろさを競い合うことはありません。また、何かを体験するには時間が必要です。私は、時間には限りがあり「時間=命」だと考えて大切にしていますから、お金を命のために使うのが、何かを体験することだと考えています。
さまざまな体験は、自分でも思ってもみなかった心の動きや行動などを見つめ直すよい機会になります。旅行中に現地の珍しい食べ物にチャレンジしたり、その土地ならではの小物を手に入れたりすることが楽しければ「自分は新しい体験で幸せを感じるんだ」と知ることができます。そうして体験を重ねることで、自分が本当に大切にしたいものがよりくっきりと見えてくるようになるはずです。
最後に余談ですが、「お金への執着を減らす」ために、お金を使うことができます。それは「布施」です。
あるとき、弟子たちと托鉢に出かけたとき、お釈迦さまが貧しいものばかりが住む集落に向かおうとしたそうです。そこで弟子が「裕福な人々が住む地域になぜ行かないのか」とたずねたら「布施は貧しいものほどしなければならない。たとえ米粒1つでも布施をして功徳を積んだら、今の貧乏から抜け出せる」とおっしゃったという話があります。そしてそのときのお釈迦さまは、托鉢で得たわずかな米でつくられた粥を食べながら説法したと言われています。
仏教では、貧しい人は「これまで他人に何も与えてこなかったから、そうなった」と考えます。「与えるものに、与えられる」。これが「布施」と言われる、仏教の基本的な考え方です。
ですから、お金への執着を減らそうと思ったら、お金を誰か、そして何か自分以外のためになることに使ってみるのもいいかもしれません。コンビニのレジ脇にある寄付金ボックスに小銭を入れるのもいい。お世話になっている人にプレゼントを贈るのもいいでしょう。手放すことで、すがすがしい気持ちになれるものに使ってみるのです。 大切なのは、惜しんだり、痛みを感じたりしない金額を寄付すること。小銭入れにたまった1円玉、5円玉でもいいのです。寄付するのがつらくなければ、100円、500円と増やせばいいでしょう。気持ちよく手放すことで、心の豊かさを感じることができる。たとえ小さな金額でも、積み重ねていけば、自然とお金の執着が減ってくるはずです。