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キライ、とニガテ

キライ、とニガテ

 嫌い、と苦手のちがい。

 人間であれば誰しも苦手なものや嫌いなものがある。苦手な食べ物、嫌いな食べ物とか・・

 この、「嫌い」と「苦手」ってどのように使い分けているのだろうか。辞書などで調べると、様々記載されているが、ざっくりいうと「嫌い」は、好きではないということ、感情的な部分が大きく、「苦手」は得意ではない、というニュアンスのようだ。

 苦手は、得手不得手をいう場合に使われる言葉で、そこには感情はないのが基本だ。

 確かに好きだけど上手ではない、ことはよくあることだ。カラオケを歌うのは好きだが、歌は上手くない。という人は少なくないと思う。

 この場合、苦手だが嫌いではないのである。対して「嫌い」は、これはもう感情が全面的に出ているわけだから、文字通り好きではない、いやだなあという感情を表している言葉で間違いないのだろう。

 しかし、世間では本当にこのようにキチンと区別して使っているのだろうか?イヤイヤ、なかなかそうでもない。

 自分自身振り返ってみても、意味としては「嫌い」を伝えたいのに選ぶコトバとして「苦手」を使うことがよくある。

 そうした時の気持ちは、本当は「キライ」なのだけど、感情的だと思われたくなかったり、敵対的な感情と受け取られたくない、と思っている場合だ。あの人はキライ、ではなくあの人はちょっと苦手・・。といった方がニュアンス的に和らぐような気は確かにする。そこでついつい「嫌い」ではなく「苦手」を使ってしまう。

 また話の前後の状況から、聞いている相手にだって、そこは間違いなく「キライ」なんだな、という気持ちは伝わっているのだから、正確には誤用かもしれないが、角が立ちやすい「嫌い」を避けて「苦手」を多用してしまっているのだ。

 野菜はキライ、だと何だか大人げない雰囲気になってしまうが、野菜は苦手で・・というと頑張って食べようとしているんだけど、どうもねえ・・。と、結果どちらも野菜嫌いなだけなんだが、受ける印象がやや異なってくるのは確かなことだ。

 しかし、何でもかんでも苦手で置き換えてばかりではいけないと思う。時には毅然とした態度を表現しなければいけない時もあるので、的確に使い分けながら、コミュニケーションを円滑にしていきたいと改めて感じた。

 「苦手」を克服しようとあれこれ頑張ってみたのだが、どうしてもうまくいかない、そんな時は、これはもう「嫌い」なのだと潔く認めて諦めよう。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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