何のために産まれてきたのか?
日本における宗教といえば仏教ですが、仏教では「生=死」と言う考え方が一般的なようです。一般的なようであると言うように、そのような考え方は、私達の認識としてはあまり無いと言えるのではないでしょうか?
宗教と言うと、怪しい胡散臭いなどと言うイメージは、いつから擦り込まれてしまったのでしょう?江戸時代では、子供の頃から寺子屋で、僧侶から教育を受けているのが一般的でしたが、戦後、義務教育が徹底され、本当の意味での「人生の勉強はさせてもらえていない」と言うのが現実的に思えます。人生の勉強とは、いわゆる哲学と言えると思いますが、教育の話しまで広げると長くなってしまうので、その話しは機会があればまた。
死ぬなんて縁起でもない…?
人間誰しも平等に、必ず、100%訪れるもの、それは「死」です。必ず訪れるものを・恐れる事 ・向き合わずにいる事 ・縁起でもないと言う事これは果たして正しい考え方なのでしょうか?
結婚して子供を授かる事、子供が成人した姿を見る事、パートナーと思い出の地をもう一度訪れる事、子供がいつか大人になる事…それらの事よりも何よりも、確実に訪れるのが「死」なのです。
「旅立ちの準備」現実の旅行と天国への旅立ち
あなたは、1ヶ月後旅行に行く予定が決まっていたら、前日までには出かけられるように、しっかり準備を整えておくでしょう。いえ、何日も前から旅立ちの日に向けて、少しずつ準備するかも知れません。普段使わない物や、旅先でしか使わない物、旅行用の歯ブラシや洗面用具もあるかも知れませんそれは予めスーツケースに入れておく事ができます。でも、毎日使っている携帯電話や充電器、お気に入りの下着に靴下それは予めスーツケースに入れておく事はできません。
さて、これは現実の旅行の話。天国への旅立ちはどうでしょう?予め出来る準備、死ぬ直前まで準備できない事。これも、両方あるのでは無いでしょうか?そうして区別しておくと、死ぬ瞬間が何となく現実的に思えてくるかも知れませんね。
毎日を後悔しないで生きる
Appleの創設者スティーブ・ジョブズは「今日これからしようとしている事は、例えば今日死ぬと分かっていてもする事なのか?」と、30年間毎朝鏡に向かって自分に問いかけたそうです。 「答えはノー」と言う毎日が続くようなら、それは生き方を改めるべきだと言ったそうです。
人はいつ訪れるか分からない「死」を恐れ、向き合わないように生きている…と言う事にも、向き合おうとしないのかも知れません。 「死は恐ろしいものだ」と思い込ませることで、誰かが得をしている?S.Jが闇側だとか光側だとかの話はココに置いておく事にしましょう(笑)。
最期は大好きな家で死を迎えたい
私の父は亡くなる10年も前から身体が不自由になり、治療の点滴や毎日の薬の服用などを続けていました。今思えば、そんなの何の意味も無いからやめちゃいなよと言えるのですが、当時の私は世の中の仕組みなど何も理解していない、ただの田舎の工務店の社長でした。亡くなる前数年は、検査の入院など繰り返し、日に日に弱って行くのが目に見えてわかりました。入院の検査では、誤嚥性肺炎などを頻発し、検査した結果食事はもうやめようと言う事になり、点滴になった時からみるみる弱って行きました。
大好きな家に帰りたい。大好きな家の居間で最期を迎えたい。今思えば、その思いが叶った事はとても幸運だったのかも知れません。
あと三週間で死にますよ
ある年の2月初旬、在宅医の医師に「今月いっぱいの命です」突然の宣告。 「え!?普段と何も変わらないんだけど・・・ホントかなぁ」と言うのが本音でしたが、どうやら、もう少しで亡くなる方の「心音」が聞き分ける事が出来るらしいのです結果、その通りになるのでした。
もうあと数日の命、と言う時、父は私に「あとはよろしく頼むな」と、一言だけ私に告げました。
普段から無口な父親でした子供の頃の私への愛情表現は、「悪い事をしたら引っ叩く」と言う事でした。当時はとてもそれを恨みましたが、今となってはそう言う形でしか親としての愛情を表現出来なかったのだろうな…と思い返し、少し不憫に思います。父が幼い頃、戦争で実父を亡くし、父親の記憶はほぼ無いと言っていた事がありました。父親と触れ合った事のない私の父は、私との関わり方にとても困っていたようでした。そんな父らしい、私に残した父の人生最後のメッセージだったのです。
最高に幸せな死に様
亡くなる少し前から、父は一切目を閉じて眠る事はありませんでした。3日前に言った言葉は、「壁と天井の境目からお母さんが見てる」でした。多くの人が同じことを言うそうです。不思議な話ですね。そして、眠らない父の様子は「あっちとこっちを行ったり来たり」と言う言葉がぴったり。目を開けているのにココには居ないそんな状態でした。
もう危ない!となった時、亡くなる事になるその日の朝から、近所の親戚が勢揃いしました。10畳の和室の真ん中にベッドがあり、その周りを親戚の人たちがぐるっと囲み、私達家族がベッドの周りでの一挙手一投足を見られているような異常な状況(笑)。息が細くなり苦しくなると、「お!?死ぬのか!?」(言葉は悪いですがまさにこの感じ)、そんな状況でした。そこに、在宅医の医師が往診に来てくださり、「皆さん、死際に立ち会うことだけがお別れじゃありません。もうお別れが済んだのでしたら、その場に立ち会う事だけが全てではありませんよ」と、仰ってくださいました。そこでようやく帰る事となりました。
医師を玄関まで見送ると「死に様と言うのは、お父様の生き様ですから、しっかりと見届けてあげてくださいね」と言う言葉を残し帰って行きました。ふーん、そう言うものかな?くらいにしか、その時は思っていませんでした。息も絶え絶え、いつ逝くか?と言うような時間は過ぎ、一進一退のような状況も少し落ち着く頃、息苦しそうな父の呼吸を楽にするため、父の頭の上から、気道を開くように父の顎を両手で少し持ち上げていました。父は私の顔を見て「もう良いんだよ、どうせすぐ逝くんだから」と、首を二回横に小さく振りました。言葉にはならなかったですが、その意図をくんだ私は手を離します。
夜になり、姉は自宅へ戻り、私と妹は父のそばに母が風呂に入り、髪を乾かした時、父が突然息苦しそうにし始めました。最後の足掻きと言うような苦しい感じではなく、もうすぐ呼吸が止まりそうな、それでも少し穏やかとも取れるような不思議な呼吸の状態でした。あぁ、これできっと逝くんだ…。妹は膝の上に父を抱き抱え、私は枕元に母は隣に寄り添い、最後の呼吸が終わったと思うと、父の器官が「きゅぅ・・・」っと閉じました。父はそれを最後に呼吸する事はありませんでした。 何ともリアルな音。母、私、妹は涙を流す前に、「本当によかったね!!」と、三人で顔を見合わせ笑いました。
最高の死に様
父は私に多くを語らず、無口で、弱音を一切吐かず父として見守り続けてくれました。不器用でしたが、父なりに私を愛してくれていた事は、父が生きていた最後の数ヶ月で実感する事になります。詳しくは書きませんが、精一杯、最高の「幸せに生きるヒント」を残して行ってくれました。そして、それは「最高の死に方は自分自身の生き方で決まる」と言うことを、父の人生の最期をもって示して行ってくれたのです。
母がお風呂から上がり、身支度を整えるように待っていました母も、何となくお風呂に入っている間は大丈夫だと思っていたようで、それは夫婦の無言の会話、見えない何かで繋がっているような夫婦の絆、魂の繋がりのようにも感じました。生前、父は誰の文句も言わず、他人が喧嘩していると仲裁に入り、みんなで楽しくやっていこうやと、誰からも恨まれず、誰の事も否定せずに生きてきました。苦しいこともあったろうに、父が弱音を吐いたのは一度だけ誤嚥している事がわかり、点滴のみになった時「俺はもう、もたないんじゃないかと思うんだ」と言う、その言葉だけでした。
父の生き様。父の人生父の私への不器用な関わり方。そして、その愛情。私には、死の直前まで理解する事は出来ませんでしたし、きっとその全てを理解できる事は、これからの人生でも出来ないかも知れません。ですが、その死に様は、あまりにも幸せな瞬間であり、それが生き様を表していると思うと「生きると言う事は、死ぬこの瞬間に向かっている」。それ以外に無いのだな、と思いました。そして、死ぬと言う事は、なんて素晴らしく素敵な事なんだろう!!とも思ったのです。
私は離婚し、子供たちと離れて新しい妻と一緒に生活しています。新しい妻は子供が居て、その子供たちと一緒に住んでいる、その子供たちが私を看取る事はないかも知れないし、妻が先に行ってひとりぼっちで逝くかも知れない。例え愛しくて掛け替えのない、自分の子供たちに看取られる事がなかったとしても、それはそれで悲しくもないような気がしています。例えひとりでも「ああ!なんて幸せで楽しい人生だったんだろう!!」と、思えるような気がしてならないのです。それは、父の死に様が、私のこれからの生き方を教えてくれたように思うからです。
他人にどう思われても自分らしく生きる。楽しいと思う事を仕事にする。誰かに厭われても自分を貫く。失敗しても前に進む。人生と言う冒険を目一杯楽しむ!!そして「自分を愛する」と言う事です。
死ぬ瞬間のために生きている
この文章を書いているのも、皆さんのうちのひとりでも良いので、死を恐れず、「死に向かって生きている事を楽しんでもらいたい」からです。
今から死ぬ瞬間が楽しみでならない。妻か自分どちらが先に死ぬかは分かりません。ただ、どちらかが死ぬ瞬間、必ず一緒に居ると言うことだけは、自分の魂が理解しているように感じています。その時には、目が合えば「全てを分かり合える」。そんな夫婦になりたいんです。そうなるには、毎日ありがとうと伝えなくてはいけないし、毎日愛してると、毎日感謝してると、今日も一緒に居られて本当に良かった、と伝え続けなければいけません。それ以上に「心からそう思える関係」で居なければなりません。
旅立つ日は…そう「いつか分からない」のです。「旅立つには準備が必要」そう書きました。「心からそう思える関係」。それはいつでも予め準備が出来る事なのです。が、しかし、間違いなくスーツケースに入れて準備していなければいけない物なのです。「あぁ!!入れるの忘れちゃったよ!!」と、旅先で思っても、それはもう戻ってまたそこに取りに行く事は出来ないからです。
あなたはもう…大切なあの人に伝える事は出来ません。あれを伝えておけば良かった、この気持ちを伝えれば良かった、何でもっとありがとう愛してるって言わなかったんだろう、自分の事どう思ってるか聞いておけば良かった…。もっともっと愛してるって言われたかったもっともっと愛してるって伝えたかった!!!と、涙を流す最期は迎えたくないですし、迎えて欲しくないのです。
目が合った時…「あなたと生きてきて本当に良かった!ありがとう!」。お互いがそんな気持ちで生きていけたら、そんな想いで逝けたら…それは苦しかったこともたくさんあった人生を、共に生きてきた意味が十二分にあるでしょう。 「あなたと一緒にいられて本当に幸せだった!あなたが居ない人生なんてあり得なかった!本当にありがとう!またあなたと生きていく人生を送りたい!」そんな想いで逝く事が出来る…。そう思うと、どちらかが死ぬその瞬間が楽しみで仕方ないのです。私たち夫婦は、どちらかが「最期死ぬその一瞬のために生きています」。みんながそんな誰かと、幸せに生きてくれる事を心から願っています。
今日も愛と感謝の日々を。