誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

第三十回「今すぐ、幸せになっていい」

第三十回「今すぐ、幸せになっていい」

「他力本願」は、「自分の力でなんとかしようとせず、人をあてにする」、人まかせにするという意味で使われることが多いものですが、親鸞聖人の説く「他力本願」とは、人をあてにし、まわりに流されて生きるという意味ではありません。

親鸞聖人は「他力というは、如来の本願力なり」とおっしゃっています。つまり「他力」とは、阿弥陀さまが生きとし生けるもの、すべてを救おうと働かせてくださる力(本願力)のことです。「他力本願」とは、阿弥陀さまのお力をよりどころとして、日々、精一杯生きることで絶対的な幸福に至ることができるという意味なのです。

私は「他力本願」とは、シンプルに言うと、この世では自分の力ではどうにもならないことがある、だから、自分でどうにもできないことは、阿弥陀さまにおまかせして、あれこれ悩まないようにしましょうということだと解釈しています。「他力本願」とは、究極の「絶対的」な生き方なのです。

「相対的なもの」は、あれこれ深く考えずに「他力本願」で阿弥陀さまにおまかせする、そして「絶対的なもの」を中心に力を注ぐことで「報われる」人生になると、親鸞聖人も教えているのです。

ここ数回で紹介してきたお話(二十七二十八二十九)は、もしかしたらあまりにも「これまでの常識」とかけ離れていて「ほんとうに、そんなこと有りえる?」と、あなたは思ったかもしれません。

またこのような話をすると、よく「それは愛葉さんだから、できるんじゃないですか」と言われることもあります。でも、現代の日本だけでなく、古代ギリシアの時代から近年のヨーロッパの哲学、そして、お釈迦様や親鸞聖人の教えまで、私たちが幸せになり「報われる」ための真実は変わりません。

ただ、多くの人は「そんな簡単に幸せになれるはずがない」という観念にとらわれて、真実から目を背けてしまいがちなだけ。また、ほとんどの人は、幸せや「報われる」ことが、最終的な目的地だと考えています。

「幸せ」に向かって努力をすれば、いつかはたどり着けるはず。そして「幸せ」というゴールに来たら、その後は永遠に幸せが続くはずだと信じて、がんばり続けているのです。でも、幸せとは、人生における最後のゴールではありません。今すぐになっていいものなのです。

「絶対的」なものを大切にするためのテクニックの一つとして「目の前にある現実を常に“最高”と意味付ける」があります。今あるものを「最高」とするためには、現実のいい面に目を向ける必要があります。

たとえば、今持っている車は、一面から見れば「中古のボロボロの軽自動車」かもしれません。でも、その車を「最高」と意味付けるために、車があってよかった点を意識して数え上げてみましょう。

子どもの送り迎えができる。車がなかったら、買い物にも行けない。家族でレジャーに出かけるのも、電車だと荷物が大変。燃費がいいからガソリン代が安くすむ。そうして、同じ車でも「中古のボロボロの軽自動車」ではなく「自分にとって最高の車」と思えば、現実は同じでも、今すぐ幸せになれるでしょう。

こうして、目の前にある現実が最高のものだと感じることで、幸せになるための確実な土台が築かれるのです。これまで信じていたことの枠を超え、ここまでお話ししてきた新しいものの見方や考え方を取り入れるのは、勇気がいるでしょう。 誰でも最初の一歩を踏み出すのが難しい。でも、日々の暮らしの中でも、これまでチャレンジしたことがない何かを行い、実際にやってみたら「なんだ、大したことなかった」と思うことはたくさんあるはずです。まずは、一つでもいいから、「ものは試し」と思ってやってみましょう。そこから少しずつ、人生が開けていくのです。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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