日々、生きづらさや困難を抱えた高校生や大学生と接している中で感じることは、もう少し早い段階でこの子たちに出会えていたら、ということだ。
個々の家庭の事情や環境、その子のもって生まれた「特性」といったものは、もちろんその子に責任はないし、責められることではない。なのだが、現実には不利益を被ることが多い。
学校では、異端視されたり、いじめやからかいの対象になりやすい。そんな経験から不登校や引きこもりになってしまうのは、本当に理不尽な話だと思う。もう少し早く、である。
心の傷は、深く長く影響する。自分を責めたり、助けを求められなかったり、自己肯定感を無くし、心を閉ざして深く深く沈んでいく。そうした子どもたちの気持ちを溶かすことは容易ではなく、長い時間をかけてようやく心を開く場合もあるが、結局力及ばず卒業していってしまうことも少なくない。
江戸時代に庶民の学校として始まった、「寺子屋」は、地域の寺社がベースで、庶民の子どもたちに、読み書きや道徳教育をしていたものだが、時には悩み事相談や、お腹を空かせている子には食事も提供していたという。
仏教の教えをベースに、教育や道徳、さらには子ども食堂の機能も兼ね備えていた、地域の居場所である「寺子屋」。今の時代にこそ必要なものなのではないだろうか。そうしたシステムを備えた、現代版寺子屋を是非とも現実のものとしてみたい。