先日『スポーツの価値』という書籍を拝読していたら興味深い一節に出会った。
柔道の創設者である嘉納治五郎先生は、柔道の修行は「形」と「乱取り」、「講義」と「問答」にあるとしていたとのこと。
人間形成のために「講義」で柔道の考え方や理論を修め、「問答」という師とのやりとりを通じて、単に強いだけではない、人間として尊敬されて社会に貢献する人間を育てることが出来ると嘉納先生は考えていたそうだ。
スポーツだけではなく、現代社会において「問答」が欠けているのではないかと私は思うのである。
“普通に考えたら…”、”そんなつもりでは…”など。一方的な思い込みとコミュニケーション不足でトラブルが生じることがある。もし仮に「問答」が出来ていれば、トラブルの大半が回避されるのではないか。
職場、学校、友人、恋人、家族と…。
「問答」と言ったら堅苦しさがあるので「ちょっとした対話(コミュニケーション)」が取れていれば、そこに余計な衝突が無くなり、結果として人間力形成に繋がると私は思うのである。(怒りや衝突、トラブルが生じる状況や現場に人間の成長要因はないのだから。)