一般的に仏教というと、厳しい修行を積んで悟りを開くものと思われています。
しかし、親鸞の教えは違います。
厳しい修行はゼロ、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで誰でも救われるという、仏教界のスタンダードからしたら信じがたいものでした。
親鸞が生きた時代は、権力争いのクーデターやテロが横行し、世の中は荒れすさんでいました。
さらに火事や地震などの災害が頻発、当時の仏教は、特権階級が学ぶ高尚な学問であったため、庶民はすがるものもなく希望を失っていました。
その現実を目の当たりにした親鸞が「目の前で苦しむ民衆を仏教の教えで救うこと」を求め続けた結果が、浄土真宗の教えなのです。
つまり浄土真宗は、長い期間、学び続けた人だけが救われる教えではなく、心に悩みを抱えながら日々を暮らす、ボクたちのような人にこそつねに寄り添うものなのです。
親鸞の教えは、生きる張り合いをなくし、荒んでいたボクの心にじわじわとしみ込んできました。
繰り返し触れることで、もう一度「今」をせいいっぱい生きて、人生を楽しめるかもしれないという希望が湧いてきたのです。
ボクは、仏教の教えは、インターネットや書籍などで、これだけ広く発信されて「なんとなく」知られてはいるものの、誤解されていたり、日常生活には到底、役に立たない観念的なものとされたりしているのが、なんとも残念で仕方がないのです。
さまざまな悩みを抱える現代人こそ、仏教の教えで、今を充実させてほしい。
せっかく授かった命を存分に生かして、今を思う存分、楽しんでほしいのです。