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獣医師の言葉から感じた他力本願

獣医師の言葉から感じた他力本願

書いた人:釋 隆雲

得度を経て、浄土教や浄土真宗の教えをより意識する日々の中で、「他力本願」をどう受け止めるか。禅や真言宗の教えにも触れながら、獣医師である友人との会話を通して、治療、祈り、自然治癒力、そして他力への理解が語られています。身近な仕事の現場にある言葉から、念仏の受け止め方を見つめます。

得度後に深まった教えへの意識

得度させていただいてからは、以前にも増して、浄土教、浄土真宗の教えを意識しながらの生活を、ありがたくもさせていただいています。

特に、禅でも「自他分別の無い無分別智」と言われます。また、真言宗で昔習いました「身密・口密・意密の三密は元々ひとつ」という教えもあります。

浄土真宗の「他力本願」も、同じ意味をより簡潔に、難しい行や学問なしに、ただ「南無阿弥陀仏」の御念仏であらわしているものではないかと思います。それは、すべての人々への門の開放であるとも感じています。

獣医師の友人に聞いた「他力」

獣医である友人に、「他力を信じたい時はどんなとき?」と聞きますと、「絶望したとき? 手の施しようのないとき?」と、獣医師らしい言葉が返ってきました。

職業柄、何度もそういう時があり、また少ないとはいえ、奇跡が起きたこともあると話してくれました。彼の言葉から私が学んだのは、次のようなことです。

「たとえば、レントゲン、症状、触診ですぐに『これはダメだ……』と絶望しながら、飼い主さんになんて話そうかと考えるときもあります。逆に、数パーセントでも治癒の可能性があると判断できたときもあります。そのどちらの場合も、同じように、獣医師でありながら祈りますし、奇跡が起きても感謝を祈ります」

私が治しているのではない

また、友人はこうも話してくれました。

「自然治癒力に最後は任せますし、薬だって治癒力を利用しなければ意味がありません。車が壊れて、抗生物質をエンジンに置いても治りませんから……」

そして続けて、「結局、すべて神仏なのか、自然なのか、頼みなんですよ。私の仕事は、私が治しているのではないんです」と言ってくれました。

僧侶をはるかに超えた他力への理解を感じ、この話自体が、すでに私にとって、まさに南無阿弥陀仏であり、他力からのギフトでした。そして、いつも、いつでも、いただきっぱなしなのだと、ありがたく感じました。

仏陀倶楽部では、 日々の迷いや立ち止まりを、
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監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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