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人生と航海――荒れた海で舵を手放すということ

人生と航海――荒れた海で舵を手放すということ

書いた人:伊藤勇気

海での仕事を通して得た実感から、人生の揺れ動きを見つめます。荒れた海で無理に舵を取ろうとすると、かえって船は暴れてしまう。そんな経験は、感情や環境に振り回される日々にも重なります。力を入れて進むだけでなく、いったん手放すことで見えてくるものについて語られています。

海の上で知る、同じ時はないということ

人生は日々、目まぐるしく周囲が動いています。環境、感情、さまざまな要素の変化に揉まれながら、自らもそれらに紛れて揺れ動いて生きています。

私は海での仕事を生業としています。洋上では、1秒たりとも同じ状況はありません。荒れ狂ったと思ったら、急に凪の時間や場所があったりもします。すべてを把握できるわけではありません。そこで実感することは、本当に「1秒たりとも同じ時はない」ということだけです。

船の操舵は、生き物を操るようなものです。絶えず変化する潮流や風、水温、塩分濃度などを考えながら、実際に感じる波浪を抑えるように、だましだまし舵を取ります。いろいろなバランスを考えて、より最適に、安定して制御することを考えます。

何もしないことで見えてくるもの

荒れた海で、それらをわからずに混乱して舵を取れば、船はただ暴れるだけです。私も新人の頃はそうでした。なぜそうなるのかもわからずに、ただがむしゃらに舵を動かす。当然、船が安定することなんてありません。どうやったらうまく舵を取れるのだろうと思っていた時に、先輩からかけられた一言が意外でした。

「わからなかったら、何もするな」

左右に揺れる船の舵を、取るなと言われたのです。すると、どうでしょう。見えてくるものがあります。波浪の周期、うねりの高さ、船のバランス。自分は必死に船を制御しようとしていました。でも実際は違っていたのだと気づきました。

こんなにも広い海で、ちっぽけな船を制御してやろうなんていうことが違っていて、周りのさまざまな環境に合わせながら、船を同調させることが大切なのだと。すると船は、大体落ち着いて進んでいくものです。

感情の波に揺れた時は

人生は、たびたび船の航海に例えられます。そう言われてみれば、同じように感じないでもありません。幸せを感じる凪の時間もあれば、荒れ狂うような感情の波に襲われる時もあります。涙という雨も降るでしょう。

感情の波に揺れて揺れて、もう何が何だかよくわからなくなってしまったときは、いったん舵を手放すことをお勧めしたいです。あとは自然と向く方向があります。

そして、それに気づいたときに、行きたい方向に合わせてゆっくり舵を取れば、案外どんな嵐でも乗り越えることができると思います。少し違う方向へ行くことがあるかもしれません。けれど、こんなにも広い海なら、いくらでも後で修正できます。

人生でも、航海でも、針路を外れれば怒られるかもしれません。でも、もし人に「何してんだ、真っ直ぐ進め!」なんて言われたときは、こう言い返してやればいい。

「こんなに広い海、真っ直ぐ走れるわけないだろ!」

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監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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