お経には何が書いてあるのか。それはお釈迦様が説かれた“真理”が書かれている。で真理とは何か。
人は生きるというテーマにおいて、悩み、苦しむ、一切皆苦の状態である。それを何とかしようと哲学、理論、統計学、化学、医学、心理学などが発達してきた。それは人々の行動や購買を操作できるほどに。その到達した学びを日々の暮らしの中で取り入れることにより、どうにか悩みや苦しみを遠ざけて生きている。
しかしこれらの発達した学問は万人に当てはまり、活用できるものではない。どの学問に至ってもそれが適応される群と、適応されない群と別れ、社会的にはそれをマジョリティやマイノリティと言ったりする。
これに対し、真理とは人のすべて、余すところなく適応されるものである。「諸行無常」「諸法無我」「一切皆苦」そして「人は必ず死ぬ」など。すべての人に適応されるものである。これがお経に書かれていることであり、さらに秀逸なのはその解決策も書いてあるということです。さらにさらにその真理をわかりやすく解説した方便までもがお経となっているのです。
さて、私自身、お釈迦様の教えを身近なものとして学びを深めてきました。学べば学ぶほど仏教が宗教とは思えなくなってきました。
宗教の起源を調べると、例えば太陽。その万物に平等に降り注がれる光と熱。この光と熱は空気を温め、植物を育て生きるサイクルを作ります。人はこの太陽からの無償の譲渡に対し、感謝し、それが終わりなく優しく続くように願うようになり、供物を捧げたり、焼いた煙を天に返したりするなどした。これが宗教の源流。この構造にお釈迦さまを当てはめることができるので現在、仏教は宗教として広まっています。
しかしながら、お釈迦様、いやここはゴウタマシッタルダという人間が、人々すべての苦しみを研究し、その原因と対策を研究し考え抜かれその到達した考えを後世に伝えた。それが本当に万人に適応するものであった。これが真理。さらにゴウタマシッタルダはその難しい学びをわかりやすく方便という形で示されもした。この功績は確かに神がかってはいるものの、人が人を思い人のために完成された究極の学問の形では中と思うのです。その学問に魅了され、弟子となった私。
私は得度をしているものの、この学びを広く必要としている人の役に立てたい。対人援助を極める道程とともに。真理を学び方便も上手くなる。ゴウタマシッタルダ師匠を追いかけて。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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