お釈迦様が始めた仏教は、2500年前のインドでは「新興宗教」でした。
そのころのインドでは「カースト制度」という身分制度を生んだバラモン教が主流 であり「人は皆、平等である」と説いた仏教は、例外的な教えだったのです。
そんな仏教を「カッコいい!」と考えて、僧侶になった人が後を絶たなかったといいます。
またよく、ビジネスなどで大成功したカリスマ経営者のインタビューを見ると、社 会の役に立ちたいなどの崇高な動機ではなく、「“社長”ってカッコいいし」 「モテたかったから」 と正直に答える人も少なくありません。
ボクは、お坊さんになるのも「カッコいいから」「おもしろそうだから」、そして 「尊敬されるから」といった動機も大いにありだと思っています。
動機は不純でもいいのです。
なぜなら、親鸞、そしてお釈迦様の教えは一つだからです。
ボクだって、仏教系の学校を卒業してすぐに、高い志を持って得度したわけではあ りません。
営業マンになったり、さまざまなビジネスを経営したりして、さんざん遠回りをしたあげくに、親鸞の教えにたどり着いたのです。
仏教という建物は、必ず真正面の入り口から入らなければならないわけではありません。
横からでも、裏口からでもいいのです。
得度するきっかけはなんでも、仏教の教えに触れ、日々に生かすことが最も大切なのです。
ここまで得度に関して説明してきました。今からでも遅くはありません。
一歩踏み出して、人生を変える――得度が多くの人の変化のチャンスになればボクはうれしいと思っています。