書いた人:釋 隆雲
自我、分別、時間感覚があるからこそ、人間は苦しみや楽しみを経験し、同時に無分別や全体性にも触れていくのかもしれません。本レポートでは、自我を否定するのではなく、人間としての機能や暮らしの中で、縁起・無常・無我・涅槃をどう感じているのかが率直に語られています。
自我があるから見える世界
人間の自我の特徴として、または人間の特徴として、善悪、共感、同情、分離感、個人感覚、時間から生じる過去と未来があります。
自他の分離があるから、全体性に気づける。
分別があるから、無分別がわかる。
しかし、これらをわかる者はまだ個人であるから、悟りも忘れて、ただ生活が在ります。活動があります。その中には、また自我による人生が現れ、また暮らしていく。そこには楽しみや苦しみもありますが、それがそのまま縁起からくる因果であるという理解は消えません。あるいは、そのことすら忘れていきます。
今という真っ只中にあるもの
動植物にも、楽しみや苦しみは自我目線では見えますが、それはその瞬間のみであるように感じます。思考優先ではなく、体感優先。それは、過去と未来というデータと予測の思考世界ではなく、本当のリアルが存在する今、まさに今、直ちに真っ只中が優先となるということです。
データや予測は、本当にデータと予測としてしか機能しません。つまり、人間という機能を持つ自我から、人間という機能を持つ生物へと、智慧を軸として戻ってくることかもしれません。
生活へ戻っていく智慧
つまり、自我の完成をして知恵を得て、本性に気づき、智慧となり、また普段の生活に戻る。そして、動植物や物質と同じく、因果、縁起として、生活を縁切れるまで人間をやっていく。そのように感じます。
縁起、無常、無我、涅槃。これらは、同じことを違う言葉で言っているかのようです。
無限絶対な空から、相対有限な色へ。そしてまた無限絶対に気づき、即、まさに一つとなって生きるのが、仏道かもしれないと感じました。


















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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