書いた人:釋知高
身近な人の死に続けて触れるなかで、かける言葉の難しさにあらためて向き合った一篇です。悲しみのただ中にいる相手に、何をどう伝えればよいのか。僧侶資格を持つ書き手だからこそ求められる場面がある一方で、そこに簡単な答えはありません。言葉になりきらない思いも含めて、大切な人を亡くした人へのまなざしが静かに綴られています。
死に直面する機会が重なって
最近、立て続けに身近で人の「死」に直面する機会が重なりました。親戚、前職の同僚、教え子の家族……。私が僧侶資格を持っていることを知っている方から、「お言葉をいただけないか」と言われたり、「人は死んだ後、どこに行くのですか?」と聞かれたりする機会が増えてきました。
私なりに考えて答えるようにしていますが、大切な人を亡くしたばかりの方に響く言葉をかけるのは、なかなか難しいことだと痛感しています。共感することが大切だと思いますが、本当にその方と同じ気持ちになることはできません。
心の中で生き続けるということ
「亡くなった方とはリアルなコミュニケーションを取ることはできなくなります。しかし、その方を思う気持ちを常に持っていれば、人々の心の中には生き続けていることになります」
そんなことをお伝えしたいのですが、私の語彙力と人間力が足りないために、なかなかうまくお伝えできません。まだまだ修行が必要です。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明のコラムはこちら