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布施とは?一般的なマナーや語源・仏教での意味を詳しく解説

葬儀をはじめとした儀式の際に、僧侶にお渡しするお布施ですが、「依頼料」「サービス料」のような捉え方をしている方が少なくありません。しかし、実はお布施にはもっと深い仏教としての意味があります。

この記事では、仏教におけるお布施の意味や一般的なマナーについて詳しく解説しています。お布施についてマナーを知りたい人や仏教としての意味を知ることで豊な心で生きるヒントを得たいと考えている人は、ぜひ最後までご覧ください。

布施とは

布施とは仏教において施しを示す行動のひとつです。現代ではお礼や依頼料、サービス料のように思われている人も多いですが、実はこれは誤った考え方と言えます。

布施について理解することは、仏教への理解にも繋がります。布施について学び、豊な心で人生を生きるためのヒントを得ましょう。

布施の読み方

布施は「ふせ」と読みます。

人名や地名などでも用いられることがあり、同じ漢字でも「ふぜ」「ふほ」「ぬのせ」と読まれることもあります。

布施の語源

布施の語源はサンスクリット語の「dana(ダーナ)」であると言われており、「広く施すこと」という意味を持ちます。

布のように広く施しを行き渡らせるという意味を込めて「布施」という漢字が当てられたという説が有力です。

布施のマナー

仏教における布施の意味を紹介する前に、私達にとって身近な布施を扱うシーンである葬儀における布施のマナーについて紹介しましょう。

冠婚葬祭のなかでも特にマナーを守ることが求められる葬儀において、布施のマナーを理解しておくのは大切なことです。今後、葬儀に関わった時に困らないよう、葬儀における布施のマナーをしっかりと覚えておきましょう。

葬儀の際のお布施の渡し方

葬儀の際は、僧侶に対してお布施を渡すのが一般的なマナーとして知られています。

葬儀の場合は、僧侶が読教や供養を行った後にお渡ししましょう。葬儀の場合は喪主も悲しみに打ちひしがれすぐに気持ちを切り替えるのは難しいかもしれません。しかし、故人をしっかりと供養してくれた僧侶に挨拶をすることで、気持ちを落ち着けることができるでしょう。

落ち着いた場所で感謝を伝え、そのままお布施をお渡しするのがマナーです。

また、通夜の場合は終了後に僧侶が控室に戻られた際にお渡しし、法要の場合はお斎(法要後のお食事)が終わられた後などにお渡しするのが一般的です。

お布施の相場

お布施の相場は、地域や宗派によって異なりますが、一般的に以下のとおりとされます。

葬儀一周忌三回忌以降
5~15万円1~5万円1~3万円

お布施について問い合わせると「どうぞお気持ちで」と言われることもありますが、相場程度を用意するのがマナーです。地域によって相場も異なるため、不安な場合は「他の方はおおよそどれ位お包みになっているのか、差支えなければ教えていただけないでしょうか?」と伺うのもよいでしょう。

今後も法要などで永くお付き合いすることを考えれば、一時の恥を捨てて質問するのがおすすめです。

また、お車代として5,000~1万円程度、僧侶がお斎に参席されない場合は御前代として5,000~2万円程度を別途用意しておくのも忘れないようにしましょう。

袱紗とお布施袋について

布施は袱紗(ふくさ)に包んでお渡しするのがマナーです。袱紗は「大切なものを包むもの」と考えられており、僧侶へお渡しする布施を大切に扱っているという気持ちを表します。

布施を渡す際には、袱紗から取り出し、袱紗の上に布施を置いて渡しましょう。

ちなみに、包むタイプの袱紗では「右→下→上→左」の順に袱紗を畳む右開きと呼ばれる弔事に適した包み方にするのが正式なマナーです。

仏教における布施の意味とは

仏教において、布施は修行の一種です。

修行と言うと大変なことのように聞こえるかもしれませんが、実際は見返りを求めず他者へ与える行為を布施と呼んでいます。与えるものは、金銭や物の他、教え、安心など多岐に渡ります。

そもそも、布施の語源と言われているダーナは「広く与える」という意味を持っており、自分の持っている物を他人に分け与えること、惜しみなく他人に親切にすることを示しています。

仏教において、助け合うこと、他者を思いやることは重要な心の在り方のひとつです。その心を真に理解するための修行として布施が行われていると言えるでしょう。

布施の種類「三施」とは

布施には「財施」「法施」「無畏施」の3種類が存在します。それぞれの布施について詳しくみていきましょう。

財施

財施(ざいせ)とは、お金や物品などを施すことを指します。現代人に知られている布施は財施であり、葬儀などの際に僧侶にお渡ししている布施も財施にあたります。

法施

法施(ほうせ)とは、仏教の教えを他者に教えてあげることを言います。他人の心に豊かさを施す修行としても知られているものです。主に、僧侶が仏教の教えを説くことを指しており、説法なども法施にあたります。

無畏施

無畏施(むいせ)とは、苦しみや不安、恐怖からの解放し、安心を与えることを言います。恐怖や不安に怯える人を救うことは、仏教において非常に重要な意味を持つ行いです。

「布施」と「お布施」は違うもの?

仏教では主に「布施」と呼びますが、葬儀の際など一般人は「お布施」と呼ぶことが多いでしょう。

これらに大きな違いはありませんが、修行として行う際には布施、葬儀の際の僧侶に対する謝礼の意味で渡す際にはお布施と呼ぶ人が多いです。

どちらにしても、財施として他人に与える際には丁寧に「お布施」と伝える方がよいかもしれません。

お金以外でもできる7つの布施「無財の七施」とは

布施は仏教において修行としても行われることがあります。布施と聞くと金銭や物品を渡すことを想像してしまいますが、それらを持たない人でも布施の修行は行うことができます。

続いては、金銭や物品以外でもできる「無財の七施」と呼ばれる布施についてみていきましょう。

愛語施(あいごせ)

愛語施(あいごせ)とは、他人に対して思いやりのある優しい言葉をかけることを言います。無畏施の一種として捉えられ、他人の苦しみや不安を取り除くことを目的とします。

眼施(げんせ)

眼施(げんせ)とは、優しい眼差しを他人に向ける布施です。暖かな見守る目線は、人に安心感を与えて不安を取り除きます。無償で他人を思いやる形のひとつとして、眼差しを向けるだけでも布施の修行となるのです。

床座施(しょうざせ)

床座施(しょうざせ)とは、座る場所を譲る布施です。自らの座っている場所を、他人に譲る思いやりの心を育む修行と言えます。

身施(しんせ)

身施(しんせ)とは、自分の体を使って施しをすることです。つまり、お手伝いをしてあげることだとも捉えられます。困っている人のために、自分自身が動き助けることを身施の布施として行います。

心施(しんせ)

心施(しんせ)とは、相手を思いやり寄り添うことです。困っている人や不安な気持ちになっている人に寄り添い、話しを聞き、心を配ることは、仏教の教えでも説かれる救いの一種と言えます。心施の布施は、他人に寄り添い、相手を理解しようと努力する修行です。

房舎施(ぼうしゃせ)

房舎施(ぼうしゃせ)とは、宿を施す布施です。他人に屋内で、行・来・座・臥を許します。寝る場所を一角譲ってあげ、他人が安心して休める場所を提供してあげる広い心を育む修行と言えるでしょう。

和顔施(わがんせ)

和顔施(わがんせ)とは、穏やかな笑顔で相手に接することを言います。穏やかな笑顔は、それだけで他人の心に安らぎを与えます。自分自身が何もしなくても、笑顔でいるだけで他人の心を救う立派な布施です。

布施の際に大切な心構え

仏教における布施は修行の一種ですが、布施の修行を行う際に何よりも大切なことがあります。それが、「無貪無欲(むとんむよく)です。

布施をする際に、「自分はこれだけ親切にしてやった」「こんなにも金銭を与えた」という見返りの気持ちを持ってはいけないと考えられています。

そもそも、仏教のように業と輪廻による転生が信じられる価値観のなかでは、他人への無欲な親切こそが来世の自分を救うと考えられています。布施も言い換えれば、来世の自分に対する投資のような見方ができるでしょう。

そこに欲を持ち込んでしまえば「どうしてこんなに施しをしてやったのに、見返りがこれだけなんだ」と欲が増長していきます。仏教において、欲は煩悩の一種です。消し去るべきものだとされています。

布施を行う際には「布施を行う人」「布施を受ける人」「施しとしてさしだされる物」全てが、汚れなく清らかであることが必要とされているのです。

資本主義である現代社会のなかで、金銭を無貪無欲で差し出すのは難しいことでしょう。まずは、今回紹介している無財の七施から実践してみて、布施を行う際の心の在り方と向き合ってみてはいかがでしょうか。

布施は幸福を掴むための修行

現代において布施は誤った捉え方をされている部分も大きいです。しかし、それでも社会で生きる中でマナーとして行うのはよいでしょう。

中には葬儀において供養のサービス料として僧侶にお布施を渡している人もいます。そんな日常的な行動のなかから、本来の布施や仏教に関心を持ってみてはいかがでしょう。

仏教において、金銭や物品に関わらず、助ける事、心を寄せる事など財産を持たなくてもできる布施はたくさんあります。それは、助け合いの精神を育み、相手を想いやる気持ちを広める大切な修行のひとつです。

助け合いの気持ちが減少している現代だからこそ、まずは愛語施(思いやりのあることばをかける布施)や眼施(相手に対して優しい眼差しを向けること)から始めてみてはいかがでしょうか。周りの人の心が救われれば、たったそれだけでも何かが変わり始めます。

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監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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