書いた人:仏陀倶楽部 会員
子供の笑顔に触れると、こちらの緊張までほどけ、自然と心が和らぐことがあります。こうした安心を与える働きは、仏教で説かれる無畏施にも通じます。本レポートでは、孫との関わりをきっかけに「無財の七施」を振り返り、笑顔や眼差し、言葉といった身近な行いから慈悲を実践することの意味を考えます。
孫の笑顔が与えてくれるもの
私は還暦を超え、孫を授かり、孫の笑顔を見ることに一番の幸せを感じるようになりました。小さな子供は素直な感情がすぐに表に出てくるので、笑顔を見せてくれると非常にうれしく感じます。子供の笑顔に接するためには、こちらの表情や接し方も大事です。
子供だけでなく、大人が笑顔で接してくれるのも非常にうれしいものです。人と人とのご縁があり、その中でいただく笑顔からは自然に安心感が生まれ、心が和らぎます。
暮らしの中で実践する「無財の七施」
このように、人の不安や緊張を取り除き、安心を与える働きは、仏教でいう無畏施(むいせ)につながるものです。仏教には、その具体的な実践の形として「無財の七施(むざいのしちせ)」という教えがあります。
・優しい眼差しで接する「眼施(がんせ)」
・穏やかな笑顔で接する「和顔悦色施(わげんえつじきせ)」
・思いやりのある言葉をかける「言辞施(ごんじせ)」
・自分の身体を使って他人に奉仕する「身施(しんせ)」
・他者の痛みを理解し、思いやる心を持つ「心施(しんせ)」
・席や場所を譲る「床座施(しょうざせ)」
・雨風をしのぐ場所や泊まる場所を提供する「房舎施(ぼうしゃせ)」
「無財の七施」は、人と人とのご縁の中で慈悲を実践していくための具体的な方法です。私は還暦を迎えても、「無財の七施」の実践はまだまだだと反省するばかりです。ご縁のあるどなたに対しても「無財の七施」で接していけるよう、まずは穏やかな眼差しと笑顔を鏡の前で練習しています。
しかし、子供は実にうらやましい存在です。練習などしなくても、自然にできているからです。ということは、私も小さい頃はできていたのかもしれません。
還暦を迎えることはできましたが、年齢を重ねる中で、知らず知らずのうちに三毒、すなわち貪・瞋・痴の影響を受け、子供の頃の純粋な気持ちが曇ったのかもしれません。あるいは、人生経験を重ねる中で社会に対する警戒心が強くなり、適応していくための柔軟性が失われてしまったのかもしれません。
無畏施から法施へ
私は僧侶を目指していますので、大人としての無畏施によって安心を与え、法施によって智慧を分かち合うことを実践していきます。
まずは「無財の七施」によって親しみやすくご縁を広げ、不足している智慧を補いながら、苦しんでいる人を助けられる法施を広く実践することを目指します。
無財の七施は単なる礼儀作法ではなく、その根底には、相手の幸福を願い、苦しみを取り除こうとする慈悲の心があります。そして、その慈悲が具体的な行動として現れたものが無畏施であり、やがて法施へとつながっていくのだと思います。
笑顔や優しい言葉は小さな行為に見えますが、それによって人に安心感を与えることができます。その意味で、子供が自然に見せる笑顔は、慈悲の原点と無畏施の大切さに気づかせてくれるものなのです。
南無阿弥陀仏。






















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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