お釈迦様が2500年前に始めた仏教は、時代とともに解釈が変わり、さまざまに分派しました。
そして現在では、各宗派により、礼拝や仏事に関してのノウハウである「作法」が 異なることも少なくありません。
たとえば、葬儀のときにあげるお線香の本数や置き方まで、「一本を折らずに真ん中に立てる」「三本を逆三角形に置く」などと、宗派によって定められています。
正直、ボクは作法にこだわりすぎる必要はないと考えます。 作法はあとからできたものです。
ボクの元に得度を希望されてきた方の一人は「仏教に親しみたい」と別の場所で得度を願い出たことがあったけど、こまかい決まりごとなどが多く、あまりにも敷居が 高すぎて断念したという経験をお持ちでした。
せっかく仏教に関心を抱いてくれたのに、それではあまりにももったいない。
本来なら、どの宗派でも誰でもお坊さんになれるはずです。
それが、誰もが平等に救われると説いた仏教の教えの本質だからです。
形やルールにこだわりすぎて、人々を遠ざけてしまうのは本末転倒ではないでしょうか。
ボクたちは、誰もが平等に救われることにフォーカスしていきたい。
そして、多様な方々を積極的に受け入れ、もしかしたら肩身が狭い思いをしていた かもしれない人たちにも居場所を提供していきたいと考えています。
そもそも親鸞は、上層階級のものであった仏教を「悩み苦しむ民衆に伝えたい」と、 結婚して肉食をするなど既成の形を打ち壊してまでも広めた人です。
ボクたちも、その志を今に生かして、より多くの人たちに仏教の教えを伝え、今を幸せに生きてほしいのです。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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