人生を変えるのに修行はいらないを読ませていただきました。仏陀倶楽部の記事等読ませて頂く中で、現在(3/1)で59歳にならせていただき、20歳の頃より人生の柱となった仏教の魅力を伝えたく、WEBサイトやポッドキャスト・Spotify等で、お恥ずかしいですが素人の仏教好きとして宗派、上座部、チベット問わず、何か気づき学びや理解があれば、書いたり喋ったり好き勝手に行なってまいりました。
それでも何人かのご僧侶、スピリチュアルや哲学物理学が好きな方、いろいろな方々とお付き合いする中、仏教語を皆が自然に使っている、仏教はまだまだ力がある、魅力がある、人々の大安心に貢献出来る!と強く感じました。偉そうでありますが、どうやったらもっと仏教の魅力を上手く伝えられるかが、いつも難儀しておりました。
ご著者の中の、「お坊さんになれば自分もまわりも救うことができる」 の部分に深く答えの一つを感じました。家族、友人知人に僧侶であるから仏教に邁進しても怪しまれない、信用される。これは私の場合は、はったりの免許みたいになりそうでありますが、僧侶なんだからという意識により、さらに遠慮なく、他力ではありますがまた自分を律する、仏教にさらに堂々と執着する源になると感じたからです。不謹慎ではありますが、正直な気持ちがこの様に湧きます。
また、得度へ踏み出すきっかけは上記した文と重なりますが、年齢や安定した状態からも、まさに今がラストチャンスと思ったからであります。仏陀もおっしゃった通り、また、ご著書にもあった通りで明日どころか、今すぐどうなるかもわからない日々ですから、間髪入れずに申請させていただきました。
真言宗を主として加行やお勤めしてまいりましたが、真言宗の阿闍梨様のお言葉の、真言はとなえるのではないですよ、となえさせられているんです。そうならなければ自分が如来であったと実感できません。という言葉と、親鸞聖人の教行信証の解説文から、自力修行が無意味というわけではなく、最終到達点が他力本願であるという、親鸞聖人の視野の広さが示されているのです。というところから、さらに他力も自力も他力と腑に落ちたからです。