「苦」を遠ざけ、生きている「今」をイキイキと過ごすための教えが仏教
一切皆苦(いっさいかいく)
「仏教は古くさくて観念的」だから、現代人の役には立たないと考える人もいるかもしれません。
でも、お釈迦様が説かれている人生の真理の一つが、人間には必ず「苦」がつきまとう「一切皆苦(いっさいかいく」ということです。
実際に、歴史が始まってから人が努力してきたのは「“苦”から逃れる」こと。
病気や老い、さらに金銭的な苦しみ、人間関係の苦しみなど、あらゆる「苦」を遠 ざけようともがくのは今もまったく変わりません。
その本質が変わらないからこそ、どんな時代でも仏教の教えは有用なのです。
また仏教は「死んだあとに極楽浄土にいくための教えじゃないの?」と考える人も多いでしょう。
しかし、お釈迦様の教えは一切皆苦という前提からスタートしています。
その「苦」を遠ざけ、生きている「今」をイキイキと過ごすための教えが仏教です。
仏教は、決して「死んで極楽に行くために“今”を犠牲にする」ことを提案しているわけではないのです。
ボクは、仏教はとても合理的に考えられた教えだと思っています。
「人生は“苦”に満ちている」 というのは、悲観的だと考える人もいるでしょう。
でも、生きていれば誰でも問題や難関に突き当たります。
お釈迦様は、「生きるというのは、ラクなことではない」 と、最初にいさぎよく認めています。
その上で、悩みや苦しみの原因を探り、さらに取り除く方法を示しているのが仏教なのです。
そのやり方は宗派によりさまざまです。
複数の経典を読むことを重視する宗派もあれば、坐禅などの修行を大切にしている 宗派もあります。
また、各宗派により教義や仏教の理想も異なるため、祀られているご本尊も宗派によって異なります。
阿弥陀如来(あみだりょらい)の願い
「なぜ、悟りを開いたのはお釈迦様だけなのに、たくさんの仏様がいるのか?」 とあなたは思うかもしれません。
仏教では、地球上で悟りを開いたのはお釈迦様だけだと言われています。
しかしお釈迦様は、大宇宙には自分以外にも数えきれないほどの仏様がいると説いており、そのうちの一人が、浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来なのです。
浄土真宗の教えでは「阿弥陀如来の本願」が基本となっています。
阿弥陀如来は、自身が悟りを開いて仏になることができたのに「この世には、まだまだ苦しんでいる人が大勢いる。自分はその全員が救われるまでは仏にはならない」 という願い(本願)を持っていたとされています。
また、阿弥陀如来は「自分に助けを求める者は、すべて極楽浄土に生まれ変わらせる」とも誓っています。
つまり阿弥陀如来は、出家して修行を積んだり厳しい戒律を守ったりしなくても、 また、年齢や性別、身分や職業などは一切問わず、どんな人でも全員を必ず救うと誓ったのです。
ここから「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ=阿弥陀様にお任せします)」と唱えれば、誰もが救われるという浄土真宗の教えが始まったのです。
つまり仏教とは、宗派による違いはあれど、根本的には問題解決の手法を提案する合理的な教えなのです。
仏教は今、救われるための教えです。 悩みや苦しみから 解放されることを目指します。