誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

三毒とともに生きる――欲・怒り・迷いに支配されないために

三毒とともに生きる――欲・怒り・迷いに支配されないために

書いた人:仏陀倶楽部 会員

仏教で説かれる「三毒」とは、貪(欲)、瞋(怒り)、痴(迷い)の三つの煩悩を指します。私たちは日々の暮らしの中で、欲を抱き、怒りを感じ、迷いながら生きています。しかし、そうした心の動きが学びや気づきにつながることもあるのではないでしょうか。本レポートでは、親鸞聖人の「煩悩具足の凡夫」という言葉を手がかりに、三毒との向き合い方を考えます。

三毒を抱えながら生きる私たち

親鸞聖人の「煩悩具足の凡夫」という言葉から、私も他の人も皆、三毒を抱えながら生きる存在であると認識しています。

三毒は、凡夫である私たちに常にはたらいている煩悩であり、私たちはその中で悩み、迷いながら生きています。しかし、その悩みや迷いがあるからこそ、学びや気づきを得ることもあります。

三毒の「貪」は欲です。欲があるから、学びたい、成長したい、生きたいという気持ちが生まれます。

三毒の「瞋」は怒りです。怒りを感じるからこそ、理不尽なことに疑問を持ち、正そうとする心が生まれることもあります。

三毒の「痴」は迷いです。迷いがあるからこそ、学び、考え、真実を求める心が生まれます。

三毒に執着し、支配されることの苦しみ

仏教では三毒を煩悩として戒めています。私も、その苦しみの原因は三毒そのものというより、三毒に執着し、それに支配されることにあるように思います。

三毒が直接的に強く前面に出ると、欲に支配され、怒りに振り回され、誤った判断をしてしまい、苦となります。

人間関係で苦しくなる多くの場合は、相手がいることではなく、相手への執着によって生じます。相手に理解してほしい、認めてほしい、自分の考えを受け入れてほしいという思いが強くなると、苦しみになります。

自分の三毒を感じ、省みながら生きる

三毒は、なくすものではなく、執着しないこと(支配されないこと)が大切だと認識しています。

自分の三毒を感じたときは、いったん心の中で会話し、欲に動かされていないか、怒りに支配されていないか、思い込みで判断していないかと、省みながら生きることが大切ではないでしょうか。

私は、三毒を抱えた凡夫であることを自覚しながら、阿弥陀如来のはたらきに照らされ、人とのご縁を大切にし、慈悲の心を育んでいきたいと思います。

南無阿弥陀仏。

仏陀倶楽部では、 日々の迷いや立ち止まりを、
一人で抱えずに言葉にする場があります。

※登録者2,000名超 / いつでも解除可

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
コラム一覧 → こちら